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1720 戦艦扶桑の最期は「爆発後に船体が両断し、前部/後部共に1時間ほど浮いていた」というのを本で見ました。そういった離れ業ができるのは軍艦構造故でしょうか?また、両断した後部側の缶と機関、推進軸がある程度使えた場合、後ろの部分だけでも動けたのでしょうか?
ケンペル&マラー

  1. 確か、駆逐艦の不知火だったかが触雷して艦首を切断し、そのまま帰還して修理を受けたという事があったと思います(うろ覚えですが)。
    YF−23A

  2. >前のご質問に関して
    残部が沈まないだけの浮力を維持さえしていれば、艦艇商船問わず浮いてる事は可能でしょう。
    ただ、一般則として艦艇の方が水密構造が細かく強度もある為浸水はしにくい一方で、浮力自体は同じ大きさなら巨大な船倉をもつ輸送船の方が大きいと思われます。が、商船特に輸送船の場合荷積み荷降ろしの便利上隔壁はあっても大割なことが多いので、浸水すると一区画当たり浮力の失い幅が大きくなります。
    (反面客船は船室割などで隔壁が細かい場合が多いので、一概に「商船」と纏めるのもどうかと…)

    >後の方のご質問
    私が知っているのは日本駆逐艦の二三例だけですのでご容赦の程を。
    44年1月16日にサイゴン沖で被雷した天津風は第二煙突の前からをもぎ取られ缶室全てに浸水してしまい航行不能、8日の漂流の後「朝顔」に曳航されて帰ってきました。
    その後切断位置に仮艦首をつけて航行可能となっていますので、機関部への浸水さえなければ船体後部だけでも航行できると思われます。
    戦場のど真ん中でこうなるとまず生きて帰ってはこれないと思いますが<初風のように
    烈風天駆

  3.  結論から言えば「可能」です。
     駆逐艦の例になりますが、
    「秋月」…艦橋前に被雷し、艦前部を切断。サイパンで応急修理の後に内地へ帰還。
    「涼月」?…豊後水道で艦橋前と艦尾に被雷し、前部と船尾を喪失する。三菱長崎へ曳航。
    などがあげられます。
     既に烈風さんが言及されているのですが、(残存)船体重量と浮力の釣り合いが取れれば、船体が1/2になろうが、1/3になろうが浮くことは浮きます。船体の一部を失って浮力が少なくなっても、その分上部構造物の重量が減れば浮体としては安定します。
     また、機関系・推進系が生きていれば後進で帰還することも可能です。
     しかし、駆逐艦というものの船体は「機関室・罐室に船尾と船首をつけて整形したもの」というほどその比率は高いので罐室前の水密隔壁さえ守られればかなりの確立で浮力を保持することは出来るようです。

     最後になりますが、浸水を考慮して船内区画を細分化した船(軍艦構造etc)の方が、生存率が高い、という確認もしておきます。
    能登

  4. >1 不知火について
    42年の7月5日にキスカ沖で船体中部(位置から見て恐らく第一缶室でしょう)に被雷、一番煙突から前を失って航行不能。同行の霞もやはり艦首を失って大破しています。
    日本駆逐艦の被雷損傷状況等については、ここからのリンクで飛べる「東江戸川工廠」の方で個艦別に紹介されていますのでどうぞ。
    烈風天駆

  5. なるほど!そういった一部分だけの航行も一応は可能なのですね。
    ところで扶桑はどこの部分で「切れた」のでしょうか?両断というからには真っ二つといったイメージがあるのですが。
    ケンペル&マラー

  6. >4
     被雷した時点では両艦とも艦首部は失われていないようです。
     後に曳航可能な状態にする為に工員の手によって切り離されています(不知火の艦首部は切り離し後、亡失)。
    人見 忍

  7. >5.
    僕も知りませんが、十中八九主砲塔のある部分でしょうね。
    戦艦クラスの船体を切断するとしたら、主砲弾薬庫の誘爆しかないでしょう。
    勝井


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