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どうもです。日米海軍の対空戦闘についてお聞きします。 米海軍は対空戦闘時、ガッチリ陣形を組んだまま一丸となって航行し日本機を迎え撃っているようですが、一方の日本海軍は当初は陣形を組んではいるものの、敵機来襲なるや各個バラバラに操艦して個艦優先の対空戦闘をしているように思えてなりません。開戦から数々の戦訓があったにも関わらず捷号、菊水作戦に至るまで日本海軍は何故米海軍流の方式を参考にしなかったのでしょうか? (中には武蔵の猪口艦長のように「本艦は回避運動は行わない。全砲力を持ってこれを撃退する」といった個別の方針もあるようですが…) リリー・マルレーン |
- 米艦も回避運動していますよ。
SUDO
- 猪口艦長は戦艦「武蔵」を被害担当艦として回避運動をしなかったわけです(大破したあと総員退艦命令を出し、自分は残り艦と運命をともにしましたが・・・)。どうせなら「長門」にすればよかったと思うんだけど。
呂−666
- ↑被害担当艦についてなんですが、結果的に被害担当になってしまっただけで、
そういう意図があったとは考えにくいように思いますが・・。
taka
- 武蔵は輪形陣の外側に位置したために攻撃が集中しました。(中心に居た大和は
爆弾1発の被害で済みました。)
↑×2 しかし、武蔵の代わりを長門が引き受けたとしても、第二次空襲までが限度で戦線離脱したと思います。やはりパラワン水道で第四戦隊が壊滅してなければ武蔵も輪形陣の中心に位置できたのではと思うのですが・・・。
彩鳳
- 武蔵の件、猪口少将の遺書にて
「結果として被害を本艦に吸収」とかなんとか言うくだりがあったと
記憶しております。
多分、被害が集中し始めてから被害担当艦たるを決意したのでしょう。
もっとも、出撃前にペンキを塗り替えたとかいうエピソードも時々紹介されてます。
ホントなら最初からある程度意図的だったかもしれませんが、どうですかねぇ?
勝井
- >4.武蔵も輪形陣の中心に〜
そりゃないでしょ。
栗田艦隊の輪形陣見たことないですか?
もう一方の輪形陣の中心にいたのは金剛です。
さすがに戦隊をバラしてそれぞれの輪形陣の中心に配すとまでは考えられない。
でもまあ、大和、武蔵、長門が3隻で中心に輪になって…という展開は
ないでもないかな?
ついでにそこに愛宕も加わって
――戦艦3隻に守られて中心に座す愛宕、なんてヤな光景が脳裏に浮かんでしまった…
勝井
- 皆様、色々とありがとうございます。しかし、「武蔵」の件は“日本艦として回避運動を行わなかった特例”として挙げた訳でして・・・。
陣形を崩してまで各々バラバラに回避運動を採るのは航空機の編隊を崩すのと同じ事かと思うのです。それに、個別回避ではいかに間隔を開けていても衝突の危険も増すでしょうし。
ある種の文献にも「日本海軍は艦長の操艦の妙技を重要視している」と記述されています。個別回避はこの事を裏付けているのでは?
リリー・マルレーン
- これはケース・バイ・ケースなんですけどね。
どちらも投弾されるまでは可能な限り陣形を組んでいます(当然ですね)
そして投弾に対して回避運動をおこなってます>魚雷が来て避けない艦は居ないですよね?
回避が繰り返されると、当然ですが陣形は維持できなくなります。
それはミッドウェイや南太平洋の映像でもわかります。空母と護衛艦は全然別の方向を向いてたりします。
単に米軍の側が回避を何度も強要されるような状況に中々追い込まれていないのに対して、日本側は彼我の圧倒的な戦力差からそういった事態に追い込まれやすかっただけのことです。
SUDO
- SUDO様
>単に米軍の側が回避を何度も強要されるような状況に中々追い込まれていないのに対して、
>日本側は彼我の圧倒的な戦力差からそういった事態に追い込まれやすかっただけのことです。
そういった状況下、「各々回避せざるを得ない。結果、陣形が崩れた」という事ですね。ありがとうございました。
リリー・マルレーン
- 蛇足ですが。
捷一号作戦における「長門」の戦闘詳報の「戦訓」に、以下のような記述がありますので、参考までに御紹介します。
「輪形陣において中央艦に随動する回避運動は自艦も中央艦同様攻撃せらる時 最初の回避は随動的に実施を得るも連続攻撃を受くる場合は随動運動のみにては回避の目的を達し得ざること多し なお最初に自艦攻撃せらるる場合は単独回避の止むなきものと認む」(「長門機密第二一號ノ一三 軍艦長門戦闘詳報 第二號」防衛研究所戦史部図書館蔵、原文は旧字、カタカナ書き)
勉強不足で、当時の運動程式を確認していないのですが、この戦訓の記述から見ても、日本海軍もできる限り陣形を保ったままの回避運動が基本であったようです。しかし攻撃を回避しているうちにそれができなくなったようですね。
藤