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太平洋戦争末期、現存する日本艦艇の殆どは防水上の見地から舷窓を鋼板で閉鎖していますよね? そもそも舷窓の役目とは「採光」と「通気」等の役目があるハズなんですが、閉じられてしまった舷窓は少々の事では漏水はしないとしても、当然前述の役目を果たさなくなります。蓋をされた以上、艦内ではそれなりの照明、換気の設備が増設されてたのでしょうか? トロイダルCVT |
- 艦内の通風に関しては、それなりの通風・換気装置が設けられていますので、舷窓に頼る部分は少なかったと思います。
採光に関しては、舷窓を閉塞して確かに暗くはなったでしょうが、大戦末期の日本艦艇の居住性切り詰めは、明るい暗いなど問題ではありません。
テーブルやイスなどの木製品は火災の元となるため陸揚げ、舷窓は閉塞、内装のペンキや床のリノリウムも可燃物のためはぎ取りなどなど・・・戦場が本土に近くなり、長期間航海する機会がなくなったこともあって、浸水・防火対策のためには居住性は徹底して簡素化されました。
従って、舷窓閉塞により採光や通風に多少の影響が出たとしても、それらの回復に対して特段の対策はとられなかったものと思われます。
つね
- もともと戦闘時には盲蓋をして閉鎖するものでしょうからそれで困るような構造にはなっていなかったんじゃないですか?
窓は平時の日常に機械の負担を減らすためのものと思いますけど。
シュルクフ
- ワシが、山本である。何でも質問するがよい。
山本
- 照明はともかく通風は影響を受けたように思います。
もともと艦内は「イン○ンは司令長官から水兵まで全員経験したはず。」という海軍出身者がいるくらい高温多湿だったようです。
そのせいか停泊中の軍艦の舷窓には「風取り」という板状の導風板のようなものがついてる写真も見られます。
照明に使用する電灯の熱もバカにならないので、潜水艦や大和などの新型艦を中心に蛍光灯を装備したそうですがこれも全艦には行き渡らなかったようです。
このあたり、同じように舷窓を封鎖しても冷房を装備した大和あたりを頂点として新型艦と旧型艦のあいだでも通風では格差があったのではと想像しています。
(大和では冷房のない兵員室でも機会式通風装置が動いていたそうです。)
SAW
- 「蛍光灯」の配備に関してですが、駆逐艦などで裸電球を蛍光灯に交換したところ、対空戦闘などの衝撃が直接加わり破裂することが多かったとの回想があります。
裸電球であれば、天井からぶら下がっているだけなので、戦闘時には向いていたそうです。
能登
- うぅむ。「贅沢は言ってられない」って事ですね(^^;。
若干ズレますが、可燃性であった故に剥がされた艦内防暑/疲労軽減の為のリノリウムの立場と同じ解釈と考えて良いんでしょうか?
トロイダルCVT