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昭和20年8月6日に広島近海に、停泊もしくは航海中であった「いずも」という船について情報が有りましたら、教えてください。 ちはや |
- 停泊中といえるかどうか微妙ですが、海防艦「出雲」が呉で7月24日の空襲で大破着底状態にありました。
通りすがり
- ご質問の艦が呉で大破着底していた「出雲」だとすると、明治33年に竣工した装甲巡洋艦「出雲」です。本艦は、日露戦争時に第二艦隊旗艦として黄海海戦、旅順封鎖、更には日本海海戦でも活躍した歴戦艦ですが、大正10年に一等海防艦に艦種変更し第一線を退き、以後は主として士官候補生の練習艦として使われました。その後、太平洋戦争が始まった昭和17年に1等巡洋艦に再び艦種を変更されましたが、戦地に出ることはなく、引き続き海軍兵学校生徒の練習艦として使用されました。そして、昭和20年7月24日、呉軍港の大空襲の中で大破し転覆着底、昭和22年に呉で解体され、その47年に渡る艦歴にピリオドを打ちました。
つね
- 江田島に”榛名”と合同の留魂碑がありますよ。
GO
- 補足。
日華事変当時には支那派遣艦隊(第三艦隊)旗艦として上海に出張ってます。
この出雲を目標として中国海軍による魚雷艇襲撃、特殊兵による爆破工作、空軍による空襲が行われています。
また中国軍陣地に対し艦砲射撃等も行っていた模様です。
じょーぢ
- 自分の聞いた話では、乗組員が広島の原爆を見たというのですが、大破着底状態でも乗組員は乗船しているのでしょうか?
ちはや
- ↑状態によっては水面上の部分が使用可能なケースもあり得ます。
そのまま防空砲台になったりした例も少なからずあるようです。
勝井
- 手持ちの資料で「出雲」の着底状態の写真を探したのですが、見つかりませんでした。資料によっても「大破着底」としているものもあれば「転覆着底」としているものもあり、どのような姿勢で着底していたのか・・・戦艦「榛名」などのようにほぼ水平に近い角度で着底したのならまだしも、軽巡「大淀」のように転覆していたのなら防空砲台としての使用も不可能でしょう。
ただし、秋月級駆逐艦のように優秀な対空砲を搭載していたのならともかく、ほとんど練習艦と化していた「出雲」に十分な対空装備がされていたとも思えませんので、姿勢に関係なく、大破着底した時点で放棄された可能性が高いと推察します。従って、原爆投下を見たという「出雲」乗組員は、乗艦の喪失により陸に上がっていた「元」乗組員なのでは?
つね