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日清戦争時海軍の旗艦は「松島」でしたよね。では提督は誰だったのでしょうか?日露戦争の東郷平八郎がかくも有名になりその後の海軍運営にも多大な発言力を有していたのに対し、松島のときの提督が知られていないのが不思議でなりません。 ラッキー |
- 伊東祐亨です。
日露戦争当時には軍令部長となる人物です。
片
- 日清のときの樺山軍令部長・西郷海相・伊東長官って『知られていない』んですか?
まあ、日本海海戦のときは10年前の黄海海戦とは参加兵力の規模も桁違いでしたし、その勝利の質もまた桁違いではあるんですけど。
まなかじ
- それは、東郷平八郎が有名に過ぎるだけと思います。
比較の対象があまりにも大きすぎましょう。
勝井
- まあ、坪井航三の事がほとんど(国内では)知られていないので
「知られていない」という感覚もあながち間違いではないと思います。
そう、“不思議”なのです。正直サッパリ判りません。
ナゾ〜
- 見ようによっては東郷元帥も「知られてない」ような気も。
SAW
- 一部の愛媛人、特に松山市民にとって日露戦争&日本海海戦と言えば、東郷平八郎元帥以上に秋山好古・真之兄弟が有名なようです(笑)。詳しくはわかりませんが、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の影響が大きいみたいです・・・
すいませんゴミです(;^_^A
ブラック・タロン
- 簡単に一言で済ませば旗艦「松島」はじめ伊東提督が目立った活躍をしなかったからです。
(北洋水師提督、丁汝昌との絡みこそ有名ですが)
文字通り“神”となった東郷元帥とは違いますね。
ナゾ〜