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日露戦争の旗艦三笠は米国のビッカース社製ですよね。ところがそれより10年前の日清戦争の際日本軍によって撃沈された、一時孫文が指揮していたことで有名な「中山艦」は日本の三菱重工製ですよね。日本は当時かくも優秀な造船技術を持っていたのに、なぜ三笠を敢えて外国から購入したのでしょうか? ラッキー |
- まずは此処を見てください。
http://www.asahi.com/international/update/0510/015.html
780トンの、当時の留別で言うならば砲艦」で、更に言うなら発注が日露戦争の五年後です。
日露戦争時の日本は、諸外国から大型戦闘艦や最新技術を導入し、中小型以下をなるべく自製するという方向でした。
三笠発注時の日本には、三笠のような世界最強の武装と装甲とエンジンを持った世界最大の戦艦を建造する能力は無かったのです。
実は日本の軍艦建造力のはこの日露戦争で大きく発展します。
戦争中は他国からの導入に非常に制限されます。日本は自前で相当なところもこなす必要性に迫られたのです。
大型艦建造の最大の問題は組み立てではなくて、各種の材料部品の確保です。
主砲や装甲は並みの製鋼所では作れない特殊素材と行程を必要とします。日本はここから作り始めないといけなかったのです。
そして日露戦争を睨んで、こうした基礎的な要素に多くの投資が行われ、戦中から戦後にかけて成果を生み出します。
ですが、まだ充分な物では有りません。日本はまだかなりの特殊素材を輸入に頼ってますし、技術的にも最新鋭にはまだ追いつけて居ません。他国で完成した技術の導入というレベルです。
これが一定レベルにまで達するのは1920年ぐらいからだと言っても良く、世界水準になんとか並べたかもしれないのは、甘く言って太平洋戦争時、厳しい事をいうなら戦後です。(つまり着手してから数十年かかるのです)
大型戦闘艦、特に戦艦の建造とはその国も基礎的な重工業能力が要求されたのです。
そして中小型の艦は日清戦争あたりでも自製がかなり進んでいました。つまり特殊素材の確保を別にすればそれなりの建造能力があったのです。
小さな中山艦程度なら日露戦争後の日本で比較的容易に建造できたのです。
SUDO
- 補足
>日露戦争の旗艦三笠は米国のビッカース社製ですよね。
ビッカースは、英国の会社です。
SAW