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吹雪級駆逐艦はなぜ高角砲を積まなかったのでしょうか? 井中かえる |
- 大正13年4月の、軍令部長より海軍大臣への商議で出された新型駆逐艦についての要求は、13センチ(12.7センチ砲の通称でしょう)砲4基以上・8センチ高角砲1門・61センチ魚雷発射管3連装3基・39ノット・航続力が14ノットで4000海里(ただし5000海里分の燃料タンクを設けること)でした。このほとんどが実現している中で、8センチ高角砲だけが欠けています。
高角砲は1門だけ積んでも仕方がない、とわかって削られたのかもしれません。しかし、では代わりに有効な対空兵装が積まれたのか、というと機銃は前の睦月級と同じく7.7ミリ機銃が単装2基だけです。
もしかすると主砲の両用化は最初から織り込み済みだったのでは、とも思うのですが、いかがでしょうか?
井中かえる
- 素人の回答です。
第四艦隊事件とかの対策で改修されるまで特型の主砲は75度くらいの仰角を持っていました。その後重心を下げるための軽量化のために仰角は55度くらいになりました。(陽炎型だか夕雲型くらいでまた75度になったはずです。数値等はうろ覚えのデータですので信用しないでください)
部外者
- >2
吹雪級の主砲の高仰角化は11番艦「綾波」からです。昭和3年の「軍備制限研究委員会」の答申を受けたものとされています。
ところで、調べなおして考え付いたのは、吹雪級要求案での8センチ高角砲は機銃の補完ではなく代替・強化ではないかということです。例えば「牧野茂 艦船ノート」にある神風級の次世代駆逐艦案のうち新艦型の方の要目では、どうも8センチ高角砲は積んでも機銃は積まないようであることが一つです。
また、外国の例としてイギリスの駆逐艦(嚮導駆逐艦は除く)の対空兵装の発達をたどると、なし→1ポンド単装機銃1基→40ミリ単装ポンポン砲1基→7.6cm単装高角砲1基(機銃なし)→40ミリ単装ポンポン砲2基(試作艦アマゾンとアンバスケイド、1927年竣工。吹雪は1928年竣工)とやはり一旦対空砲に至った後機銃に戻っており、日本駆逐艦の対空兵装の変遷もこの流れの一環だったのでは、とも思います。なぜいったん大口径化が求められたのかはよく知らないですし、これもあくまで状況からだけなのですが。
井中かえる
- >3
確か当初出現した各種の高角砲は対飛行船用だったと記憶しています。
飛行船の攻撃兵器としての脅威が消滅し、代わりに航空機が登場するに及んで、対空火器に求められる機能や能力も変化したのではないでしょうか。
SUDO
- >4
なるほど、大攻撃力だが鈍重な飛行船相手なら一発の威力がある対空砲がいいが、軽快な飛行機相手なら小回りの利く機銃の方がいいということですね。
ところで、イギリス以外の駆逐艦の対空兵装の変遷も調べてみました。高角砲から機銃への遷り変わりが見られるのがフランス、ドイツとイタリアは第一次大戦中の状況がわからなかったのでなんとも言えないのですがともかく20年代半ばのもので既に機銃のみ、アメリカが7.6センチ高角砲一門装備案を駆逐艦建造休止期間中持ち続けた揚げ句、主砲と同時に12.7センチ両用砲に移行、という感じでした。
井中かえる