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http://www2u.biglobe.ne.jp/~yuh/cgi-bin/minibbs.cgi こちらのBBSの下の方で「スリガオ沖で二つに折れた扶桑の後ろ半分がしばらく自力航行していた」と書いているのですがそんなことってありえるのでしょうか? 0918 |
- 機関部がくっついてれば航行は可能です。
だけど速力によっては前方からの水圧で隔壁が破れ、
行き先を海底に変更することになります。
艦首がなくなれば抵抗は激増しますし、隔壁に外板ほどの強度はありませんから。
ソロモンあたりでは艦首ブッ飛ばされながらもなんとか生還した艦がいっぱいいますし、
坊の岬沖の涼月は後進でだましだまし進みながら佐世保に帰ってきましたね。
勝井
- 雷撃を受けて天津風は第二缶室より前がちぎれた状態でも浮いていて、
シンガポールで仮艦橋と仮艦首を付けて日本本土への帰還航海に出ていましたね。
Navy
- >質問者の方
向こうの掲示板で質問されたら如何でしょう?
回答する方としてもやりにくくてたまりません。
>2
天津風は被雷・戦隊切断後、航行不能状態のまま何日も漂流しておりますので、質問に対する例としては不適かと愚考いたします。
ルダ王女親衛隊
- 以下、独り言です。
0308〜0309 被雷(駆逐艦『メルビル』による)
0338 大爆発(このとき二つに割れる)
0400頃 スリガオ海峡中央付近で二つの艦影が600mの間隔で火ダルマとなって停止し
赤々と炎上しているのを、志摩艦隊に視認さる
(志摩艦隊はこれを『扶桑』と『山城』と誤認)
0430 『扶桑』沈没
土屋二飛曹