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日本海軍の同型艦空母が複数で戦隊を組んで(例えば、翔鶴と瑞鶴)戦闘行動中、帰還した艦載機が自分の母艦を見分ける方法について教えて下さい。飛行甲板に「ア」とか「シ」とか書いてあるのをみましたが、戦闘出撃にさいしてはこれらの目印は消してあったのですか? だだ |
- 上の質問の続きです(くどくてすみません)。以下の様な場合の、対応について教えて下さい。「我が方の2隻の空母AとBから攻撃隊が、敵艦隊攻撃に勇躍出撃していきました。ところが、その後これら2空母は敵の空襲を受け、回避運動中に互いに肉眼的視界外に離ればなれになってしまいました。両空母の損傷は軽度で、着艦は可能です。そこへ、我が方の攻撃隊がばらばらになって還ってきました。その際、A所属の艦爆aとB所属の艦爆bが、帰還中互いを認めて2機で編隊を作り、空母Aまで戻ってきたとします。両機とも損傷を受けてはいますがすぐに不時着しそうな程では無く、搭乗員のけがも幸い軽傷です。今のところ、空母Aの飛行甲板は着艦がすぐに可能な状況であり、敵の二次攻撃隊や潜水艦の接近も察知されていません」この状況下での空母Aの対応は?1.両機とも着艦させる(はずと思いますが)場合、着艦順序は所属機を先にするのか?2.それとも、b機には空母Bへ向かう様に指示するのでしょうか?こうした判断に、連合艦隊に何か規定があったのか教えて下さい。
だだ
- 個艦の識別標識は戦闘中もそのまま残されていますが、翔鶴以外の母艦の場合は煙突の位置など、それぞれの艦の特徴を参考にしたようです。また母艦と飛行機間は無線連絡も通じる場合が多かったようで、帰還に際して電話を使った例も見られます。
そして、とりあえず降りられる母艦に降りて燃料補給を受けた後、本来の母艦に戻る、という行動は特別なことではありません。実際の海戦でも行われています。
BUN
- 大戦初期は、飛行甲板の前後どちらかに、艦名の1文字がカタカナで書かれていました。ちなみに赤城”ア”、加賀”カ”、翔鶴”シ”、瑞鶴”ス”、蒼龍”サ”、飛龍”ヒ”です。
GO
- 便乗質問です。
いつかの海戦で母艦から攻撃にでたが敵が見つからず武装を捨て帰投したとき、翔鶴とホーネットを(だったかな)見間違えてしまい、ホーネットに着艦しそうになったが武装を捨ててしまっていたので惜しいことをしたと聞いたことがあるのですが、飛行中の機が確認するのはそんなに難しいのですか?母艦をみつけたらとにかく着艦すると言う風に教わったのですか?
ヒューイット
- >3 すみません、翔鶴は「ス」では? 「シ」だと「死」に繋がるというので「ス」になったと思いましたが・・・でもって瑞鶴は「ヅ」になりますが・・・。
彩鳳
- >4
珊瑚海海戦時に高橋赫一少佐の率いる第二次攻撃隊(艦爆12、艦攻15)がTF17のレキシントンを母艦の翔鶴と間違って着艦しそうになった事件のことだと思います。
この攻撃は薄暮攻撃で、着艦未遂事件(?)はもうすでにかなり暗くなっていたこと、TF17も接近してくる日本軍機を発艦した直援機だと判断したために発生したと考えられます。
また、この事件の直前に攻撃隊はF4Fによる迎撃を受けたため、攻撃をあきらめ、各機とも爆弾、魚雷を投棄しています。
T216
- >6
細かいつっこみ、レキシントンはフィッチ少将の第11機動部隊では?
土屋二飛曹
- >7
私の調べ方が悪いのかなぁ?
珊瑚海海戦に参加した米機動部隊はレキシントン、ヨークタウンを基幹とする第17任務部隊だったという資料しか出てこないのですが…。
私は米軍の部隊編成についてあまり知らないのでこれ以上何ともいえませんが…。
すいません、詳しい方誰かフォローお願いします。
T216
- 私の手持ちの資料(第二次世界大戦通史:原書房)をみると米海軍の戦力は
第17機動部隊(フレッチャー):空母ヨークタウン,巡洋艦3,駆逐艦6
第11機動部隊(フィッチ):空母レキシントン,巡洋艦2,駆逐艦5
第44機動部隊(クレイス):巡洋艦3,駆逐艦1
となっていますが、5月6日0930に第11と第44、第17機動部隊に合同と図の中に書かれています。薄暮攻撃をかけたのは7日ですからこの時は第17機動部隊に合同していたことになると思います。
波タカシ
- >9
ありがとうございます。
T216
- >5 翔鶴「ス」説は、瑞鳳に「づ」の平仮名が使われていて、それと「死」の連想もあって?
唱えられてた説で、これはかなり前に翔鶴の飛行甲板前部そのものの写真が出て明らかに「シ」の
文字が確認でき、却下された(笑)はずです。
しかし母艦の見分けという点では、自軍どころか敵母艦に着艦しかけたっちゅー話もありましたっけ。
MB
- ↑失礼(汗)。すでに書かれていることを今更書く間抜けなワタシ(汗)(汗)。ご容赦。
MB
- エンガノ岬沖海戦の時の「瑞鳳」を米軍が撮った写真では「づほ」(失礼。「ほ」の字体は小さかったです。)の文字がありました。以上の経緯から戦闘中でも。「目印」は消さなかったのではないでしょうか?
けーくん
- 失礼。「戦闘中でも、消さなかった」の誤りでした
けーくん
- 便乗
比島沖海戦で「千歳」「千代田」も識別マークを書いていた、という資料を見たことがあるのですが。これが写っている写真などあるのでしょうか?
「瑞鳳」が書いている以上、書かれているのが自然とも思いますが。
tackow