QQCCMMVVGGTT
1513 大和の最後についての質問です。
魚雷攻撃で傾斜が増大して、主砲の発砲が不可能になってしまったと聞きますが、発砲出来なくても配置を離れなかったのでしょうか?だとしたら、沈没まで主砲塔員は何をしていたのでしょうか?
また、いよいよ沈没となった際、主砲塔の乗組員はどのように脱出したのでしょうか?
詳しい方がおられましたら是非とも教えていただきたいです。
ナガト

  1.  戦艦の場合(というか大方のフネはそうですが)、結構な傾斜でも砲弾を発射させる事が出来ます。ちなみに我が戦艦の場合、傾斜が8度程度まで通常に発射する事が可能でした。

     発射不能に陥るのは、装薬などを運ぶのが傾斜のために困難になるためですが。傾斜が増大しても、それを復旧する作業が行われていますし、砲塔内ではそれを信じて配備についたままだったのでしょう。従って、発射不能→即、配備を離れる。というわけでは無いです。

     最終的に退去命令が出された後は、出入り口から脱出したと思います。
    tackow

  2. ものすごいうろ覚えで、果たして大和型だったかどうかすら定かではないのですが、ゴミとして読み捨ててください。
    いざ総員退去命令が出た時は時既に遅く、ということがままありますが、主砲塔内でもそういう悲劇がありました。
    砲塔の出入り口は日本艦の場合横開きで、傾斜の方向によっては扉が歪んでなくてもその重量故に開閉不能に陥ることがあったそうです。
    同じ分隊で他の配置にいた兵隊さんは、逆の方向への傾斜だったらと思ったという回想があったと記憶しています。
    どの戦記だったかなぁ。。。とても悲しい話だったので印象には残ってるんですが。
    取り敢えず質問者の方への回答としては、傾斜が増して例えやることがなくなっても別命がない限り戦闘配置からは離れられません。
    主砲分隊の人は実際にやることがなかったらしいです。。。生存者も少ないんでアレですが。
    小岩駅防衛小隊

  3.  そうですね・・・扉が開かなくなって脱出不能になる場合も考えられますね。ありがとうございました。
    tackow


Back