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戦艦etc.って、沈没してからしばらくしたら「除籍」されますよね? 除籍されると、所有権は誰のものなんでしょうか? 大和とか赤城は今誰が権益を持っているんでしょう? ダイバー |
- 所有権は、時間の経過だけで失われることはありません。第三者が時効取得することで、その結果として元の所有者が所有権を喪失することはありえます。でも、大和は海底に沈んだままですからね。時効取得の余地がない以上、あいかわらず日本政府の所有物でしょう。
ただ、日本政府が大和の所有権を放棄してるなら、話は別です。所有権の放棄とは、簡単に言ってしまえば「もーいーらない。持ってけ泥棒」と捨ててしまうことを言います。例えば、ダイバーさんが捨てたゴミ類がそうです。この場合は、真っ先に拾った人の所有になります。
けど、日本政府が大和を始めとして、海底に沈んだままの艦艇類の所有権を放棄したと言えるか? それらの持つ財産的な価値を鑑みた場合、単純に海底に放置したままだけでは、所有権を放棄したとは言えません。海底に遺棄された旧軍の砲弾類は、相変わらず国家の所有物とした判例もあるぐらいです。
結論として、大和を始めとした海底の艦艇類は、日本政府の所有物です。勝手に持ち去れば、占有離脱物横領罪になります。
ただ、法的に見ると、海底の艦艇類は遺失物です。つまり落ちてる財布と同じ扱いなんです。ですので、警察に届け出て一定の手続を経ることで、拾得者の所有物とすることもできるでしょう。
ただ、問題は日本国の裁判権の及ばない海外に沈んでる艦艇類ですね。例えば赤城とかですが。国際私法については詳しくないんで、ちょっと分かりません。
ツカドン
- 基本的に、↑の御説明の通りなのですが、補足します。
沈没した旧軍の艦船は、現在、財務省所管の国有財産(普通財産)となっていると思われます。従って、沈没艦船を自分のものにしたいと思ったら、財務省の国有財産担当の部局に申し出て、「国有財産の払下げ」の手続をする必要があります。
確か、以前にもここで同種の質問があったような気がしますが・・・・・見つけることができませんでした。
海機55期
- 便乗になります。日本国内の米軍が投下した不発弾や、米軍機、米軍艦船の残骸の
所有権はどうなるんでしょうか?
taka
- >3 第一に、とある外国の領内において特定の兵器が落っこちていることを、その兵器の所有国が認知しているかどうかだな。所有国の方では、その兵器が行方不明の扱いになったまま、という可能性もある。
落っこちているものが、どこの国の兵器の残骸か判明すれば、外交ルートを通じて所有国に連絡することもあるのだろうが、両国の外交関係が悪ければ、そんなことしないだろう。
そして、所有国自体が兵器の残骸について返還を要求しているか? これは、ケース・バイ・ケースだと思う。不発弾については、軍事機密上、重要なもので無い限り、返還を要求することなく相手国に処分を委ねているのでは。軍用機等の残骸についても、返還を求めるほどの価値が無ければそのままにし、後は所有国の方で国有財産の帳簿上、滅却ないし紛失の扱いをするかどうかでしょう。
アリエフ
- (追加)だから一概的で明確な結論は出せないんだが、米国が残骸についても所有権放棄の扱いにしているケースが相当あるのではないか、ということ。また、日本国内で残骸を拾得した者による時効取得が成立しているケースもあるだろうけど。
アリエフ
- (再追加)上に書いたのはあくまでも両国間が戦争状態にない場合の話。戦争時であれば乗員の遺体返還も絡んでくるし、所有国からの所有権に基づく返還請求に対し、相手国はほとんど突っぱねるだろうけど。
アリエフ
- 所有権が時間の経過で消えることがないことは、先述の通りです。したがって、日本国領土内にある米軍の兵器の残骸や不発弾の所有権は、原則として今もなお米政府にあります。
ただし例外もあります。
1つは、第三者による時効取得が成立してる場合。民法162条1項では「20年間所有の意思をもって平穏かつ公然に他人の物を占有したる者は、その所有権を取得す」と規定してます。戦後既に半世紀以上が経過してるので、取得時効が成立してるケースも多いでしょう。
例えば、戦時中に墜落したグラマンの部品を記念にとっといてる人がいたら、その部品の所有権を取得してることになります。
2つは、日本軍が米軍兵器を鹵獲してた場合。鹵獲した時点で、その兵器の所有権は日本軍に移ります。具体的な法規・条約は分かりませんが、鹵獲した敵国の兵器を自軍の所有物にするのは、国際法で認められてます。
では、鹵獲兵器を含めた日本軍兵器の所有権は、戦後、どのように処理されたのでしょうか? 法的には、武装解除により米政府の所有物となり、平和条約発効により日本政府へ返還されたと解釈されてます。
なので、例えば鹵獲兵器については日本政府に返還しないなどの米政府の意思表示でもない限り、それらも他の日本軍の兵器と一緒に日本政府に返還されたことになります。
したがって、この場合の所有権は日本政府にあります。
3つは、米軍がその所有権を放棄してる場合です。その場合は無主物となります。誰の物でもないので、民法239条1項「無主の動産は、所有の意思をもってこれを占有することによりて、その所有権を取得す」により、真っ先に拾った人の所有になります。
どのような場合に、米軍は所有権を放棄したと解釈できるか?ですが。不発弾や赤錆だらけの残骸は、ほとんどの場合、所有権が放棄されてるはずです。
ただ、不発弾の場合は、たとえ無主物でも爆発物取締法などで所持を禁じられてるので要注意です。
ツカドン
- 交戦相手国の艦艇の残骸および積み荷の所有権が、国際問題にまで発展した事例が、1つだけありましたね。ナヒモフの財宝騒動です。
ナヒモフとは、日本海海戦で沈んだバルチック艦隊の艦です。同艦には、軍資金として大量の金塊が積まれてるとの噂がありました。その価値は8000億円とも8兆円とも言われてます。 その財宝の一部を、日本海洋開発という会社が1980年9月に引き揚げに成功したと報じられたことから、日本とソ連を巻き込んだちょっとした騒動が繰り広げられることになりました。
ソ連は、帝政ロシアの正当な相続人として、財宝の所有権を主張。それに対し日本は、ナヒモフは戦利品であるとして、ソ連の抗議を突っぱねます。しかし、なにせ前例のないケースなだけに、どちらの言い分が正しいか断言するのは難しい、というのが実情でした。
ナヒモフが沈んでた場所が、日露戦争当時の領土3海里時代では公海だったが、引揚当時の領土12海里時代では日本領土という微妙な位置づけだったこと。日ソともに、75年間もナヒモフを放置し続けていたこと。引き揚げたのが一民間企業だったこと。そのスポンサーが笹川良一だったこと・・・等々の特殊な事情が絡み合い、事態はより一層に複雑化します。
両者の言い分を検討してみましょう。
まず、そもそもソ連が帝政ロシアの相続人たりえるか疑問です。相続人たりえたとしても、帝政ロシアの対外債務を全て踏み倒したソ連が、ここにきて権利だけを主張するのは、信義に悖ります。
一方の日本ですが。戦史には、日本の駆逐艦不知火が、停船してたナヒモフを発見。数名を乗り移らせるも、浸水が酷かったので、ほどなく撤収。しばらくして沈んだと記録されてます。日本海軍の軍人数名が乗り移ったことでナヒモフは戦利品として日本の所有物になった、というのが日本の公式見解です。
戦時国際法に照らし合わせると、日本側の言い分に軍配が上がります。事実、ソ連もそれ以上は抗議をしてきませんでした。
では、ナヒモフは現在でも日本の所有物なのか? 国有財産として強く認識されないまま(国有財産台帳に登録すらされてない)75年間も海底に放置されてたわけです。所有権の放棄が成立して無主物なのか、それとも依然として国有物なのか、ちょっと微妙です。
さらに、実はナヒモフは民間に払い下げられていた、というオチも考えられます。昭和初期から、ナヒモフの財宝に挑戦した人は、他にも沢山いました。そんな人たちと国との間で、ナヒモフと積み荷の所有権に関する何らかの取り決めが交わされていた可能性もあります。
大蔵省は、この点について、ナヒモフの船体は無主物、積み荷は国有物との見解を示します。つまり錆だらけのクズ鉄は日本海洋開発にくれてやる、でも財宝は国の物だからやらないよ、というスタンスです。
笹川良一が日本海洋開発に投資した金額は、実に30億円! 普通なら、ここで一悶着ありそうなものです。
ところが、日本海洋開発は、「来春以降に再開する」と引揚作業を中止します。マスコミの報道熱もここでストップ、連日のように紙面を飾ってたナヒモフ関連の記事でしたが、きれいに消えてなくなってしまいました。朝日新聞記事見出しデータベースで検索してみましたが、1984年6月19日の「銀製食器が見つかる」を最後に、ナヒモフのナの字も出てこなくなります。
果たして引き揚げられた財宝類は、どうなったのでしょうか? 調べようにも追跡報道がないので、分かりません。国有財産である以上は国民の物、我々には知る権利があるのですが。
ところで・・・。
このナヒモフ騒動ですが、場外乱闘も派手でした。笹川良一が「北方領土を返してくれるなら、財宝を返還する」とあたかも所有者のごとく振る舞い国会で問題沙汰になったり、週刊誌が引き揚げられた財宝は偽物であると報道して訴訟沙汰になったりと、話題に事欠きません。 また、あのソ連が案外と素直に引き下がったことが、様々な憶測を呼びました。当時、ソ連の原潜が世界各地で事故で沈没、それを米海軍が極秘に持ち去るというスパイ・ゲームが繰り広げられてました。そんな米海軍の動きを牽制するために、ムリを承知でナヒモフの所有権を主張したのでは、と朝日新聞縮尺版には書かれてますが。実際、どうなんでしょうね?
ツカドン
- 今は分りませんが、引き揚げられたナヒモフの金属塊(インゴット)、数年前までは東京の『船の科学館』に展示されていました。引き上げ時には、金とかプラチナとかのウワサだったようですが、展示物には何のインゴットか表示が無かったように記憶しています。
masaki ogasawara
- 船の科学館なら、10年ほど前に訪れたことがあります。船の科学館というより、笹川良一記念館といった趣でした。笹川良一展示室なるコーナーがあり、「世界一のトラの剥製」「世界一のホラ貝」「ユリ・ゲラーの曲げたスプーン」など、どうでもいい物が何の脈絡もなく仰々しく陳列されてたっけ。おぼろげな記憶ながら、もしかするとインゴットも置かれてたような気もします。
でも、縮尺版を読む限りでは、結構な量のプラチナと称されるインゴットが引き揚げられてます。また、ナヒモフの中には、まだまだ大量の貴金属類が残されてるとも書かれてます。その中の一部が船の科学館にあるとしても、残りはやっぱり謎ですね。
そもそもナヒモフの財宝ですが。わざわざ軍艦に、金塊やらプラチナ類を積み込むものなのか? ナヒモフが旧式艦で、速力も防御力もB級だったことを考えると、ますます疑問です。バ艦隊が、軍資金として少なからぬ金貨を積んでいる、との在外公館からの報告があるのも事実です。でも、ナヒモフが積んでるとの報告・記録はありません。
それに石炭を購入するためと説明されてますが、そんなことは本国で決済すればいいわけで。仮に積み込んだとしても、あれだけ大量の石炭を購入したわけです。沈没した時点では、使い切っていた可能性大でしょう。
ナヒモフ財宝伝説は、対馬の一漁村の「浜辺に漂着したロシア軍人が、たくさんの金貨を持ってたらしい」という言い伝えが、そもそもの起源になってます。同様の財宝伝説が、島根県沖で沈んだイルティッシュや、鬱陵島沖で沈んだドミトリー・ドンスコイにもあります。つまり、目と鼻の先で沈んだロシア艦艇に財宝を夢見たロマンチストが、あちこちにいたとも言えるわけです。
引揚は20年前の話。ジャンプでDrスランプの連載が開始され、山口百恵が引退して松田聖子がデビューし、ルービックキューブが流行となり、新宿西口でバス放火事件があり、ジョン・レノンが射殺された昔のことです。無粋な詮索よりも、思い出として夢のままにしとく方がいいかも。久しぶりにナヒモフ関係の資料をひっくり返していて、ふとそう思ってしまいました。
質問の趣旨からずれた長レス、失礼しました。
ツカドン