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Heavy Cruiser という言葉は、いつ頃、どこで使われ始めたのでしょうか? また、大巡という言葉は、何巡洋艦の略で、いつ頃から使われ始めたのでしょうか? (N) |
- 巡洋艦という艦種が重巡洋艦(ヘビークルーザー)と軽巡洋艦に分けられるようになったのはワシントン条約からだったと思います。
さうすだこ太
- 大巡は八八艦隊計画の8,000t型大巡という言葉からではないかと思います
これは後の古鷹型一等巡洋艦になるのですが
何故泰淳と呼ぶのかは・・・
この時点では一等になるか二等になるか微妙であり
また一統巡洋艦には装甲巡洋艦のような大物が残っていた事
建造の始まっている天龍や5,500t型軽巡洋艦と区別する事
等の理由が思いつきますが確証はありません
勿論、大型巡洋艦、もしくは大きな巡洋艦、大きな軽巡洋艦の略で大巡であり
古鷹以降の重巡洋艦とそれに類する物と見てよいと思います
SUDO
- >1.
そういうことを質問してるわけではないのです。
>2.
さらに遡って八四艦隊計画時の7200t型はどうでしょう。3500t型(天龍)に対して、大型巡洋艦(大型軽巡洋艦)と呼ぶ場合があったのでしょうか?
(N)
- >1&3
条約で巡洋艦が分けられたのはロンドン条約からでしょう
また、Lightに対する言葉としてHeavyを使ったのだと思われますので
ワシントン条約に従った新造巡洋艦からではないかと推測します
(既にLightCruiserは存在していましたから)
また7200t型は軽巡と記されていたはずです
完成後に大巡と呼んだかもしれませんが、計画では軽巡洋艦だったと思います
また、この時期にHeavyCriserという用語が恐らくまだ無かったがために、8000t型で大巡を用いたと想像します
SUDO
- >3
八四艦隊以前から「小型巡洋艦」や「中型巡洋艦」と呼ばれる艦種があったようです(ちなみに計画時の5500t型は中型の様です)。ただ、何に対しての中型・小型なのかははっきりしません・・絶対的な大きさからなのか、あるいは装甲巡洋艦に対してなのか・・・制度沿革をひっくり返せば出てくるかもしれませんが・・
で、古鷹型はその小型、中型に対応して「大型巡洋艦」→大巡と呼ばれる様になったのではないでしょうか(7200t型については確認していません)?
以下余談ですが。「軽巡(中巡)」「重巡(大巡)」という並列した記述も見られます。これは「重巡、軽巡」という事から条約型以降と思えます。なので、「中」と「大」の間に明確な線引きが成されたのは、「条約型巡洋艦」というカテゴリーが成立した後でないかとも思います。
tackow