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日本の戦艦の命名は扶桑以後同型艦にはなんらかの関連性により色々つけてますけど,大和・武蔵と来てなんで信濃なんですか?何の関連性もないように思うんですけど,それは唯の日本史の勉強不足で,なんかの関係があるんでしょうか?. そもそも信濃以降の艦は超大和型に移行するはずだったように覚えてますけど,実現していたらペアがなくて使いずらかったのではないでしょうか。その辺海軍はどうするつもりだったんでしょう。 ウグイスダニ |
- 信濃の次、111号艦は大和型ですけれども。
BUN
- 同型艦がペア(あるいは2の倍数)でなくとも運用上さほど問題にはならないでしょう。ちょっと調べれば判りますが、戦前の1Sなんかはフネの出入りが激しいですよ。
tackow
- >日本の戦艦の命名は扶桑以後同型艦にはなんらかの関連性により色々つけてます>けど
同型艦の各艦名の関連性について具体的にご教示願えれば幸いです。
SAW
- 大和級三番艦改空母の名前が信濃に決まった過程はぜんぜん知らないのですが、今のところこう考えて自分を納得させています。
大和……日本の代名詞(旧国名としない)
武蔵……首都所在地の旧国名、やはり日本国を背負う名前
ここから、大和級の名前のいわれは「日本国を担うもの」と考えました。
さて、問題の信濃、日本の中央にある以外、国を背負うような名前に思えません。しかし長野県に何があったか、よく考えてみるとありました。日本国の最後の砦・松代大本営です。これなら東京(武蔵)にも負けません。正式の命名は進水時・昭和19年です。時期もおかしくはない。
ゆえに、仮に太平洋戦争が起こらず大和級が計画通り揃うようなことがあったなら、別の名前がついていたのでは、と思います。
井中かえる
- >3 私の見たところ、次のような関連性が見て取れます。
扶桑・伊勢級
扶桑……日本国の雅称
山城……長年の天皇の都・平安京
伊勢……天皇家の宗廟・伊勢神宮
日向……天孫降臨の地
すなわち天皇家関連
八八艦隊の戦艦については残った長門・陸奥だけ見るから本州の両端などという説が出るのです。長門・陸奥・加賀・土佐・紀伊・尾張と並べてみれば一目瞭然、旧大藩です。陸奥について加えると、これは江戸時代まで東北地方太平洋岸全てを占めていた分割前の陸奥だと考えます。すなわち仙台伊達藩や会津松平藩のことです。なぜなら前や後のついた国名は例外を除いて選ばれていないからです。前や後・上や下の付いた国名の多さを考えれば気づくでしょう。
なお、日露戦争後命名基準の定まった後の全ての戦艦にはこのような関連性がみてとれます。
まず、日本海軍を自讃するもの。これは三つに分けられます。
1.日本海海戦周辺のもの。壱岐・周防・石見
2・鎮守府所在地。相模・肥前・丹後・安芸
3.海軍主流藩閥。薩摩
このうち安芸が新戦艦名に選ばれたのは、大軍港・呉の所在地というだけでなく、大本営が広島におかれたのもあるのではないでしょうか。
そして、摂津と河内。これは少し弱いのですが、先代が同時期の艦でした。つまりのちの重巡利根と筑摩のようなものだと思います。
総じて、日本海軍はけっこういい加減に艦名をつけていたのではないでしょうか。「軍艦銘銘伝」を読んでいるとそう思います。藤永田造船所初の駆逐艦だから藤、神戸川崎造船所で造るから摩耶(近くにある山)、海軍に親しみがあるから古鷹(呉のすぐそばにある小さな山)、若竹級二等駆逐艦は番号名以前の予定艦名が読み難かったから改めて固有名をつけたときは易しいものにした、八八艦隊の巡洋戦艦の最初の四隻を頭文字あで揃えるつもりだったが(イギリス海軍か?)、愛鷹が富士に付属する山だから高雄に交代、などなど。
井中かえる
- 信濃の命名が「達」の何号だったかちょっと思い出せませんが、少なくとも進水時ではないと思います。松代大本営と結びつけるのは無理があるのではないでしょうか。また有終会「艦名考」では大和を「日本の総称ではない」としています。命名年月日などをもう少し御検討されては如何でしょうか。
BUN
- >1
はい、間違えました。お恥ずかしい。
信濃の次に111号艦があって,その次に改大和級の797号艦,それで超大和級の798号、799号艦でした。海軍の艦船補充計画をみっつほどごっちゃにしてました.
以後注意します
ウグイスダニ
- >5
不確かな記憶で恐縮ですが、陸奥は皇族の方で「陸奥」(陸奥宮様或いは陸奥院様か…)を名乗られている方
がおらっしゃったのでこの名が選ばれたとういうことを聞いたことがあります。
この「陸奥」という名前のおかげで廃艦を免れたとかなんとか…
長門は当時の政府内でもまだ影響力のあった長州勢に海軍が気をつかったんじゃないでしょうか?(私案ですが)
ガッビアーノ
- >6 大和級の命名についての私の推測にはそういう無理があるのですか。もう少し検討してみます。
>8 「ムツ」、というと私が思い出すのは明治天皇(睦仁ムツヒト)です。
井中かえる
- なかなか興味深いお話ありがとうございました。
SAW
- >8&9
「陸奥」の件は、日本側が保持にあまりにこだわる為に、海外の新聞記者が「天皇の名前(ムツヒト:睦仁)を用いた船だから妥協できないのだ」と推測したことを指すのではないでしょうか。
他国では国王の名を冠する船(キング・ジョージ5世など)が多いゆえの推測だと理解しています。
能登
- ↑すみません。ワシントン会議での話です。「陸奥」の廃棄&「攝津」復活案への日本の対応に関して、海外の記者が述べた話です。念の為。
能登
- 私が何かの文献(学研のX図鑑か写真で見る太平洋戦争シリーズだったでしょうか?)で読んだ記憶によると、日本艦の場合、艦名候補を二つ上奏し、陛下に決めて頂いていたと書いてありました。(候補作ってを上奏する人は海軍関係の偉い人だったと思いますが・・海軍大臣?)
もし、これが本当なら艦名は、ある程度の関連性を持った候補を上奏していたのではないでしょうか?
例えば、空母は『瑞鶴』『翔鶴』、『隼鷹』『飛鷹』と『鶴』『鷹』が共通です。
もっとも、戦艦や末期の空母は、命名基準からランダムに語呂の良いものを選んだ感じが私的にはするのですが・・
ワレアオバ
- >7
海軍の建艦計画は、3次までは「補充」、4次以降は「充実」となってます。
勝井
- 日本の軍艦の命名につきましては、あらかじめ作成されたリストの中から天皇が選ぶという方式を取られていたらしいです。
リスト作成の際に海軍の担当者が海軍ゆかりの名前を選んでいたため、巡洋艦にはその系統の名前が多くなったようです。
また戦艦の命名につきましては日露戦争後に「旧国名を用いる」とされましたが、旧国名自体も律令制度の制定の際に上・大・中・下の4ランクが定められており、上もしくは大の2ランクの名前からリストを作成していたようです。この際「名前に上・中・下・前・後がつくものはなるべく避ける」ようにしていたようです。
日露戦争後の4戦艦「薩摩・安芸・河内・攝津」は上記の法則に合致しております。
日露戦争の鹵獲艦6隻につきましては上・大国の条件が緩和され「修理を行った工廠が位置する旧国名とその隣国(日本海に近いほう)。また、前・後も使用可能」から選ばれたようです。
丹後(旧ポルタワ):舞鶴工廠にて修理
石見(旧アリヨール):舞鶴工廠にて修理
肥前(旧レトウィザン):佐世保工廠にて修理
壱岐(旧インペラール・ニコライ1世):佐世保工廠にて修理
相模(旧ペレスウェート):横須賀工廠にて修理
例外が1隻
周防(旧ポビエダ):横須賀工廠にて修理
これは、当時呉工廠では戦艦安芸をはじめとする新造艦の建造に手一杯で鹵獲艦の修理を行う余裕が無かったので、4大工廠の間を取り持つために1隻を呉近くの旧国名から選んだ模様。
第1次大戦後は順調に上・大国がら選ばれて行きましたが、中ランクから長門・伊勢・日向が選ばれています。
長門:当時はシーメンス事件の影響で海軍の発言力が大いに低下。このため、長門国長州藩出身が多かった陸軍の顔を立てる為に選択。
伊勢・日向:日本神話の天孫降臨の逸話でペアになっているので皇室ゆかりの艦命として選択。
…といったところでしょうか。
ちなみに、日本戦艦の中で明確にペアの関係にあるのは伊勢・日向ぐらいです。
八八艦隊計画の紀伊型戦艦では紀伊・尾張の次は常陸・駿河と「徳川家ゆかり」にするはずだったのでは、との説がありますが…一応は朝敵だったわけですから実際に建造されていたら常陸・駿河は避けていたのではないかと疑っております。
信濃とペアになるのは紀伊だった、との説が一番有力ですが。
錬金術師
- >15
つっこみですが、石見は現在の島根県西部に相当します。京都府日本海沿岸地方に当たる丹後の隣接国とはとても思えません。安芸の隣接国にはなりますが、如何に?
井中かえる