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世界で始めて集中防御方式を採用した戦艦はイギリスのオライオン級だったと記憶していますが(違っていたら、初めて採用した艦も教えてください)、それ以前の戦艦は位置によって差はあるにせよ、舷側の全体に装甲を施していたのでしょうか? 手持ちの前ド級戦艦の資料が少ないので、このあたりがどうもよくわかりません。教えていただけないでしょうか? A-140 |
- チタデレ式の砲塔艦や初期装甲艦でも全面に防御したのは少ないのではないでしょうか?
またオライオンが集中防御方式だとは個人的には思えません
個人的には装甲配置の仕方から見て米ネヴァダからだと思います
集中防御方式とはオール・オア・ナッシングが基本です
英艦でそれに相当するのはネルソン以降
日本ですと甘く見て長門からでは無いでしょうか?
SUDO
- オライオンについては「重量の軽減のため、艦首尾をほぼ非装甲に…」という説明を読んだことがありましたので、これが始めてではないかと思っていました。
ネヴァダやネルソン、長門らが最初となると、集中防御方式というのは結構新しい防御方式だったわけですね。ありがとうございました。
ところで、ある前ド級戦艦(ロイヤル・ソヴリンだったと思いますが)の説明で「装甲帯は水線長の3分の2にわたる」というのがありましたが、ド級戦艦に至るまでの前ド級戦艦の装甲は、これと同じ広さにわたって施されたと考えていいのでしょうか?
A-140
- >2
>全長の三分の二
それはもう、各艦各国で異なりますし、弩級艦とそれ以外で要領が異なるわけでも有りません
実際問題としてオライオン級とその前のコロッサス級弩級戦艦で水線の装甲帯の長さはほぼ同等ですし
例えば三笠は水線全域に装甲を持っています(高さは限定されるが)
三笠と交戦したロシア戦艦の場合
ツェザレビッチは全域、ペレスウェートは艦首尾省略、ペトロパヴロフスクはもっと短くヴァイタルパート付近だけ(変わりに高さは大きい)
ほぼ同世代の同一国家の戦艦ですらこれですので、ひとくくりに出来る物ではないのです
SUDO
- 「戦艦」と「集中防御」のそれぞれに定義があるので、断定的な言い方はしにくいのですが。
とりあえず「戦艦」の定義は置いておくとして、装甲艦の発祥以来、船体全体を防御したのはモニターとその親戚くらいで、航洋艦にはそういう例がありません。重量的にごく薄いものでない限り成立しないんです。
イギリス最初の装甲艦「ウォーリア」は、全長の三分の二ほどしか装甲を持っておりませんので、集中防御思想の走りと言う人もいます。
しかし、完成時には主砲の一部が装甲範囲外にあるという状態ですから、本質的には部分防御だと思われます。
オール・オア・ナッシングの意味でしばしば引き合いに出されるのは、イギリスで1881年に完成した「インフレキシブル」です。これは全長の三分の一程度の範囲に主砲と機関類を押し込み、ここをガチガチに装甲して、その前後は喫水線下の防御甲板だけという極端な防御方式を採用しました。
この問題は得失が錯綜しており、時代、国ごとに揺れ動いているため、はっきりここからと定義するのは困難だと思います。
「ド級戦艦以降」と仰る場合でも、ここに挙げたような例からの思想の流れの中にありますので、明確に線は引けないでしょう。
ちなみに各国の前ド級戦艦の水線装甲帯は、主要な厚さを持っていた範囲がだいたい全長の三分の二くらいですが、薄い部分はまったくないものから全長に渡るものまで様々です。
ご指摘のロイアル・ソヴリンでは、装甲帯は前砲塔から後砲塔までで、その前後は防御甲板だけです。
志郎
- 集中防御方式はネヴァダが最初、というのは割と目にします。
勝井
- 戦艦の防御は国によっては違いがあると思っていましたが、実は艦型ごとに違いがあるということなのですね。よくわかりました。
書き込んでくださった皆様、ありがとうございました。
A-140