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1363  1361の質問で思い出したのですが。
 幕末の新政府側の軍艦「甲鉄」は、当初、南部連合海軍が建造していたのを、
南北戦争の終結に伴い、北部(米国)が接収し、日本に高値で売り飛ばしたとい
う話を聞いたことがあるのですが、本当でしょうか。ストーンウォールという艦
名から、南北戦争で、南部側の将軍として名高いストーンウォール、ジャクソン
将軍に由来するのでは、と思って、いろいろ調べたのですが、分からずじまいで
した。どうか、よろしくお願いします。
山家

  1.  ストーンウォールは完成後フランスを出航、南北戦争の終結した1865年にキューバに入港、そしてそのままキューバに売却されています(売却価格は2万ドル弱?なんでも乗員へ支払う給料を得るためだったとか)。
     その後、アメリカが売却価格で買い戻しますが、戦争後に海軍を縮小するのにあわせて日本に売却しました。
     で、そのときの売却価格は40万ドルだったそうです(資料には当時の平均的価格と書いてあったような?)。
     名前の由来についてはわかりませんでした。
    人見 忍

  2.  甲鉄は、アメリカ南北戦争の南軍がフランスに発注しボルドーで建造、当初の艦名をスフィンクスといいました。その後ストーンウォールと改名され南軍が受け取る前に南北戦争が終結して中に浮いたところを、幕府がアメリカ政府から購入することになりました。 その時の艦名のストーンウォールはご指摘の通りストーンウォール・ジャクソン将軍からとられました。
     そして日本まで来たところ、アメリカ政府は急遽、明治新政府側に売り渡し軍艦甲鉄となりました。
     1868年11月に幕府軍の開陽丸が江差沖で難破した後、1869年3月に榎本幕府軍の土方歳三が宮古湾でこの甲鉄を奪取しようとして失敗(宮古湾海戦)しました。
     その後改名され、日本海軍の軍艦東になり、明治21年に解体されました。
    ここらのいきさつはインターネットで検索したら国内のサイトが幾つかでてきますが、海軍関係もありますが幕末史が強いところも面白いです。

     クフという姉妹艦(クフ王とスフィンクスの組み合わせ)もあって、1866年に完成してプロシアに売却されてPrinz Adalbertとして海防艦任務につき1878年には解体されたようです。
    masaki ogasawara

  3.  どうも、ありがとうございます。私の聞いて覚えていた話と、全くと言ってい
    いいほど違っていて、びっくりしています。私の聞いて覚えていた話だと。
    1、南軍が姉妹艦を含めて2隻を建造していたが、南北戦争終結に伴い、北部が
     接収し、建造代金の埋め合わせのため、外国に転売しようとし、プロイセンと
     オーストリア(しかも両国は交戦中)に、売込みを掛けた。
    2、プロイセンは、買い取ったが(多分、クフのことだと思います)、オースト
     リアは、敗戦に伴い、購入をキャンセルした。そのため、別の国に売り込もう
     と北部(米国)はした。
    3、日本は、戊辰戦争中であり、ここなら高額で買い取ってくれるだろう、と北
     部(米国)は考え、売り込んだ。本当は2万ドルもしないのに、40万ドルの
     ものだ、と吹っ掛けたら、軍艦の値段に当時、明治新政府はうとかったので、
     いろいろ新機軸を盛り込んだので、これぐらいはするという口車に簡単に乗っ
     てしまい、そのまま購入してしまった。

     と以上のように覚えていました。本当に、きちんと調べて覚えないといけない
    ことが分かりました。あらためて、自らの肝に銘じたいと思います。
     本当にありがとうございました。
    山家

  4. 甲鉄について私が調べた範囲では、おおまか masaki ogasawara さんの記述に合致しますが、

     1864‐65年、フランス、ボルドーでアメリカ南軍向けに同型艦2隻を建造。フランスと南軍の仲違いによって輸出を禁じられ、スフィンクスはデンマークに、Cheops はプロシアに売られた。
     ステルコダー Sterkodder と名を変えたスフィンクスが、デンマークへの到着する直前にシュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争が終わり、スフィンクスはキャンセルされ、オリンダ Olinda と名を変えてフランスに戻る。

     途中、南軍によって奪取され(茶番劇の可能性がある)、スペインへ遁入。ストンウォールと改名して北軍の軍艦に監視されながらキューバへ向い、現地に到着後16,000ドルで売却された。
     戦後、北軍は同額で艦を買い取っている。海軍の縮小と江戸幕府の買取交渉が噛み合って400,000ドルで売却。←回航費込みの可能性がある。

     アメリカ東海岸から南米ホーン岬、サンフランシスコ経由、8カ月かけて横浜へ1867年到着。すったもんだの末、明治政府に引き渡される。

     ところで masaki ogasawara さま、Cheops の読み方は判然としなかったのですが、これで「クフ」と読むのでしょうか。出典をご教示願えるとありがたいのですが。
    志郎

  5. そうですね、CheopsはKhufuとも表記してクフ王(エジプトの大ピラミッドで有名)のことなので、そのままクフと発音するものと思っていました。
    研究社のリーダース英和辞典で調べると、Khufuと表記した場合はクフに近い発音のようですが、Cheopsだったらキオプスでしょうか。
    masaki ogasawara

  6. 追伸、英語の発音、自信がないです。
    masaki ogasawara

  7. 元々、ケオプスはヘロドトスの『歴史』に出てくる人名で、クフのギリシア語形です。ダーラヤワウがダレイオス、クシャヤールシャンがクセルクセスになるのと同じです。あと、クフという発音も便宜的なもの(エジプト象形文字は子音だけで表記するので、本当はどう発音したかよくわからない)。
    ノースバーグ


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