1337 |
大戦中の日本海軍大型艦には、応急舵という板状のものが艦尾にあったとMG誌に記事が載っていたのですが、 この応急舵はどのような操作するものだったのでしょうか?(あったと仮定して) 霧島は舵をやられて最後はうんぬん…とすると応急舵は役に立たなかったのでしょうか? ノモ |
- まず、艦尾フェアリーダーの中間にシンプルを付け、それに応急舵の曳索を通します。そして、海上に降ろした応急舵を約25m後方へながしつつ、左右の操縦索を艦尾フェアリーダーを介してボラードに固定します。
あとは、この操縦索をゆるめ回頭したい方の操縦索を揚錨機で巻き、応急舵の角度を変えることで操縦します。
言葉で説明しても判りにくいと思いますので、軍艦メカニズム図鑑「日本の巡洋艦」の65ページの応急舵の図説がありますので、それを参考にしてください。
GO
- 霧島ではなく、比叡ですね。
比叡の戦訓から応急舵を開発、常備するようになったそうです。
ちなみに、霧島の時は艦尾から駆逐艦を曳航する形にして、それを舵の変わりにしてはどうかという案が出てますね。この辺は公人社の「怒りの海」(だったと思う。)や朝日ソノラマの「ソロモン海戦」に詳しかったと思います。
tomo
- ↑自分で訂正しといて間違ってしまった。
3行目霧島→比叡です。
tomo
- 私の挙げた本に書いてあるのは比叡の事です。
なんか誤解を招きそうだったんで念のため。
tomo
- 模型でパーツ化されてないので?でしたが
やっぱり応急舵はあったんですね(笑)。
操舵はかなり難しいようで、早速本屋で見てみます。
霧島→比叡でしたか(汗)
これでモヤモヤが晴れました、ありがとうございます。
ノモ
- 質問の応急舵とは、少し外れますが駆逐艦「時雨」でレイテ戦に参加した叔父の話です、この時「時雨」は、砲撃で操舵が出来なくなり、応急の人力操舵を行ったそうです、その方法は、人力のポンプで油圧を加え、バルブの操作で舵を操作したと話してくれました
8bd
- ↑ 比叡の場合はそのポンプのある部分すら浸水したため、この手段が出来なかったんですよね。そこの排水の努力も結局実らなかったし。
tomo