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阿川弘之『軍艦長門の生涯』の初めのほうに、 大正期にはまだ兵器の写真を撮るのもうるさくなく、写したら駄目なのは一等潜水艦と、ある角度からの空母鳳翔くらい、 といった文章があったと記憶しますが、鳳翔のどこを写してはいけなかったのでしょうか。 バツ |
- 関係あるかどうかわかりませんが、映画『ハワイ・マレー沖海戦』を撮影するとき、スタッフはセットを作る参考に鳳翔を見学しましたが、着艦フックを制動索に引っかける原理を公表してはいけないと言われ、「誰でも知っていることなのに、なんとばかばかしい」と思ったそうです。
絵塗師
- 有難うございます。あの映画そんな裏話があったのですね。
「写してはいけないもの」のモトネタは福井静夫氏からか、ともおもうのですが。
バツ
- ボクも1のフックの話を読んだことがあります。たしか、あの映画を監督した山本嘉次郎の自叙伝だったと記憶してるのですが。タイトルは『カツドウ屋水路』だったと思います。
それとゴミレスですが。
横須賀に遊びに行ったとき、電車の中で席を譲った老人に面白い話を聞きました。戦前は、横須賀を通過するときは、窓のカーテンを閉じたそうです。車両には憲兵が乗り込み、車窓を撮すだなんて、とてもじゃないけど怖くてできなかったと言ってました。ただ、具体的な時期は分かりません。
ツカドン
- >3
戦前の関門海峡一帯は要塞地帯として軍の厳重な管理下に置かれていました。
私の祖母の話では、その地域は地図の上で空白になっていたそうです。また、
横須賀と同様に、列車に憲兵が乗り込んで来て、窓の鎧戸を全て下ろし、外が
見えないようにすることもあったそうです。
祖父(故人)によれば、関門海峡付近でスケッチをする時は、まず画用紙を
憲兵隊司令部に提出して裏にスタンプを押してもらい、描き終った絵を再度司
令部に見せて許可をもらう必要があったそうです。我が家に「下関憲兵隊司令
部」のスタンプが裏に押された、祖父の描いた絵が残っています。
ハムサンド