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19年秋以降の日本海軍の呂35型や呂100型クラスの潜水艦はどんな電波兵器を搭載していたのでしょうか? また、装備方法についての資料等はあるでしょうか? 6Fサ |
- どなたも返事をなさらないようなので
稚拙な答でよければ・・・
呂44潜(竣工18年9月)に13号対空電探が
装備されていたとの(装備時期は記述されてません)
記述が「連合艦隊潜水艦 (木俣滋朗 著)」という
25年位前の古い本で見かけたのを知っている程度です
しかもちょこっとしか書いてません。
一つだけ言えるのはある日一斉に全潜水艦で電探を
装備したという事実はないようです
つまり装備時期にはズレがあるということです
例えば22号の場合、おおよそ19年4月以降徐々に
装備されつつあったとの記述を読んだ覚えも
ありますがどの本かは忘れました(すいません)
つまり呂44潜に13号が搭載されたという事実だけで
それが呂35型の標準形式か断言できないのでは?
ということです
おそらく各艦ごとに追う必要があると思います。
ちなみに13号の装備方法はアンテナマスト部分が
学研 歴史群像太平洋戦記シリーズの伊号潜水艦に
二号短波楼二型昇降装置として掲載されてます。
どなたか詳しくしりませんか? 私もしりたいです。
北方不敗
- 北方不敗様ありがとうございます。
私なりに少なくとも逆探と13号電探程度は装備されていたのではとは思っていたのですが、やはり13号電探の装備はあったのでしょうね。しかしながら、このクラスの潜水艦の戦争末期や終戦後の写真は意外に少なく、アンテナの装備法はなどは乙・丙型や特型に準じていたのではと推定するしかないんでしょうね。
6Fサ
- 戦争後期の日本軍潜水艦の電探の装備状況は
解明された部分が少ないのでは?
というのが個人的な感想です。
呂35型は日本潜水艦の運命を象徴するかのごとく
全て喪失ですから、お調べになるのでしたら
よほど気合いを入れてください(笑)
北方不敗
- 呂50だけは終戦まで残存していますから、同艦のシャープな進駐軍撮影写真や沖縄作戦で撃沈された艦の写真等が今後発掘されてくれば良いんですけどね。それに意外にバリエーションが認められる波101型の艦橋周りの写真等も・・・。
6Fサ
- 15年ぐらい前に入手した古本に書いてあったような記憶があるのですが、
現在行方不明になってしまい詳細不明です。
記憶モードですが潜水艦への電探の装備は順番に行われた訳でもないようです。
1隻装備して次の潜水艦に装備するまで2ヶ月開いたりしてたようですので
内地での修理、点検でドック入りした際に装備されたのではないでしょうか。
ルージュ
- 6Fサ様、私がボケをかましましたね
呂50号は戦後の海没処分でしたね、申し訳ないです
波101潜ですが、手持ちの本だと逆探だけでも
3種類位は見えるんです。これくらい載ってる写真が
中型にもあればいいんですけどね。なかなか・・・
北方不敗