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始めまして。 リオデジャネイロことサルタン・オスマン一世ことエジンコートのアノ(濃い)砲塔 配置は、一体全体なんなんでしょうか? SUDO記者とBUN師匠の愛のこもった鋭いツッコミを心から楽しみにしています。 烈風天駆 |
扶桑や八八艦隊計画艦を見れば、あのような配置はごく自然ではないでしょうか
就役年から誤解される場合もあるでしょうが、あれって1910年起工です
オライオン級戦艦と同世代になります(こっちは1912就役ですが)
その前のコロッサス級から見れば進歩した配置であり
オライオン級に砲塔2つを追加すると考えれば、あのようなデザインになったのは至極自然でしょう
SUDO
竣工が1914年だったもので同年完成のガングートと比較してしまいました。
ただ、機関の配置が一体どうなっているのか。
爆風問題があったのではないか。
共に扶桑級で問題となっている点なので14門艦の同艦ではどうなっているのかと思った次第です。
烈風天駆
砲塔4つを並べただけで背負い配置にもなっていません
前後方向への指向門数は3門であり、エイジンコートと比較しても劣ります
この配置がイマイチだった事は、イタリアが同級の建造を一隻で取りやめて
コンテ・ディ・カブール級に移行したことからも想像が付きます
また、伊・露3連装砲塔を採用したからあのようなスタイルが成立したので
連装砲塔のエイジンコートにはこれも望めないでしょう
(ダンテ・アリギエーリは世界初の3連装主砲塔採用艦です)
また内部構造で言うなら、それまでの弩級戦艦の延長ですから、大きな問題は無かったと思われます
ただ、爆風問題は判りませんが、斉射に船体強度が耐えられるか懸念された事
居住性を重視した為か各区画が広く、ダメコン上の懸念があった事
英国籍に移ってから上部構造物の改正が行われた事(これは爆風問題も有るのかもしれません)
等のネタがあります
SUDO
masaki ogasawara
購入側の大砲整備能力、砲弾製造能力などが
絡んでいるものと思います
勝井
世界の艦船増刊「イギリス戦艦史」には
当時新任のブラジル海相が欧州歴訪でドイツで「12インチ砲はあらゆる装甲をぶち抜く」と吹き込まれたのが原因だと書いてます(笑)
誰だよそんなこと吹き込んだ奴わぁ(ぉ
さて、真偽の程は・・・
SUDO
私の手元に「The Big Battleship」なる本がありまして、エジンコートの一代記なのですが、それによるとSUDOさんの仰るのに近かったようです。
なんでも、この人がドイツへ行ったとき、ブラジル新戦艦の受注競争に失敗しそうだったクルップ社のお方が、「クルップの305ミリ砲は、すべての装甲を撃ちぬく」と言って、巻き返しを図ったらしいのです。
「あの大英帝国海軍を敵に回すドイツが12インチ砲なんだぞ。どうしてたかがアルゼンチン相手に14インチ砲が必要なんだ?」と、この人が宗旨変えしてしまい、それまでは14インチ12門の計画だったのが、金がないこともあって12インチに縮小されました。
それでも「アルゼンチンのよりは強いのが欲しいんでしょ」ってんで、14門になったとか。一晩で図面(スケッチでしょうけど)を引いて届けたというテニソン・ダインコートさんは、セールスマンとしての手腕にも長けていたようです。
ですから、あの配置はどうやらダインコートさんが、リオのホテルの寝室で考え付いたものらしいのです。
志郎
口径30,5センチ砲10門のケーニヒをエジンコートと同年に完成させていますしね。しかしエジンコート、よく考えれば強いではありませんか。
烈風天駆
masaki ogasawara