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1192  何人ものイ号潜水艦長が、発進した回天の襲撃による爆発音を聞き、その戦果を確信していたにもかかわらず、戦後になって明らかになった米軍側の記録には、さしたる損害の記述がないことに大きな疑問をいだいていたようです。
 米軍側が終戦直後、直ちに回天搭載艦の動向を確認し、帰港を命じたことと矛盾するような気がします。
 一方、海軍の酸素魚雷は、信管が敏感すぎて、走行中に自爆してしまう事故がずいぶんあったと聞いています。
 回天の真実の戦果は、米軍によって完全に封印されているのでしょうか、それとも、イ号艦長達が聞いた爆発音は、構造上の欠陥による事故だったのでしょうか。
みや

  1. 回天は神風と違ってそう多くを出したわけでは有りません
    よって戦果が多くないのは仕方が無いのですが
    攻撃を受けた側が回天だと認識していない可能性も有ります
    http://www.usmm.org/pacific.html#anchor446433
    ここらで商船被害を見ると、魚雷によるものが非常に多いのですが
    これ殆ど潜水艦によるものと思われます(航空雷撃は別に記載するし判別も容易)
    幸い回天攻撃は凡そ場所も時間も判別しているので、丹念にチェックすればこの内の幾つかは回天かもしれません

    また酸素魚雷の自爆問題は高速による振動が第一原因ですから
    30ノットしか出ない回天でそういった問題が発生する可能性はそれほど無いと思いますし
    爆発音のいくつかは敵艦の防衛行動かもしれません>銃砲による阻止弾幕で吹っ飛ばされたとか

    SUDO

  2. >米軍側が終戦直後、直ちに回天搭載艦の動向を確認し、帰港を命じたことと矛盾するような気がします。

    米軍は回天をどういう兵器と認識していたのでしょうか?
    単純に誘導式酸素魚雷とみていたのか?
    有人ということまで把握していたのか?
    勝井

  3. 回天の戦果については、最新の全国回天会研究結果が”「回天」その青春群像 上原光晴著−翔雲社−”に掲載されているので、これを参考にしてください。あまりに隻数が多いので、ここに書き写すのが大変なんです。すいません。

    そして、米軍は回天をどう見ていたのか?と言うことですが、菊水隊の攻撃後にリーフに乗り上げ自爆した回天を引き揚げ調査しています。この調査で、これが新型の潜航艇だという結論に達したそうですが、この時点で人間魚雷だと判ったかは不明です。

    通常回天による襲撃は、潜水艦から発進後12ktで進撃、敵前1000mで一旦低速にし浮上、潜望鏡で敵の位置を1分で確認し潜航、増速しつつ針路を修正します。しかし、この敵針路確認のための浮上時に発見され、主砲と機銃による砲撃を受ける事が多かったようです。
    特に、敵艦に命中し損なって反転中、潜望鏡による敵針路確認中が一番撃沈される危険があります。ただ、米軍は回天が反転するとは知らなかったようで、数隻の回天に襲撃されたと報告している事があります。

    GO

  4.  わずかばかりの手元資料を元にした発言ですみません。
     光人社NF文庫刊の「艦長たちの太平洋戦争」中、元伊47艦長折田少佐の証言より、大戦中の回天の出撃基数44基に対して米軍側の損害発表では、ウルシー泊地における油槽船ミシシネワの撃沈と沖縄戦における駆逐艦アンダーヒルの撃沈のみで、後は駆逐艦2隻の大破となっています。
     回天戦は貴い人命をかけての攻撃だっただけに、艦長は、十分確信が持てなければ発進させなかったとも証言されており、それにしては、この戦果は、あまりにも少なく、米軍側の発表は作為的に過少になされたのではないかとの疑問が残るところです。
     御紹介いただいた書籍については、早速調べてみますが、その本に書かれている回天の戦果について、概略紹介していただけないでしょうか。
    みや

  5. 回天搭載潜水艦艦長の回想として「回天が目標に命中した時にはまず金属がぶつかり合う”カーン”と言う音が聞こえ、その後爆発音が響いてきた」と言うのが有ったと思うのですが、この回想を信じれば自爆時の爆発音を戦果と誤認する事は無かったと思います。
    ごまめ

  6. 「回天」その青春群像に、掲載されている戦果表は、母艦名、発進年月日、命中座標、交戦状態、撃沈艦名、調査現状の順で発進順に書かれています。
    私が書いた「図説 日本海軍潜航艇史」の回天戦記では、この表を元に撃沈位置を地図上にすべて記入したものを掲載します。
    GO

  7. ↑あうあう・・・そろそろ禁断症状が・・・(すみませんゴミです)。
    さいどわ

  8. 回天の戦果確認は、爆発音のみに頼ったというのは事実のようです。泊地襲撃では、長距離や環礁外側から潜望鏡による視認確認が実施されたのですが、火柱や煙柱しか見えなかったそうです。
    唯一、轟隊のイ−36がサイパン東方で航行艦襲撃中、戦果確認に潜望鏡を使用中、駆逐艦に見つかり危うく撃沈されかかったことがあります。この時は、どうせ沈むならと残った回天2基を発進させ、脱出に成功させたそうですが、母艦を助けるために発進した久家少尉と柳谷一飛曹の戦果は不明です。爆発音は確認され、敵艦一隻の音源が消滅したものの、未だに判明していません。
    GO

  9.  大本営発表の中には、過大な戦果発表があったり、重大な損害を隠したりしていたようですが、米軍も戦争中には全てを発表した訳ではないと思います。
     それは、敵国の新兵器による被害の状況に関する発表です。
     現在はっきりわかっているのは、旧陸軍が実施した風船爆弾の被害についてですが、かなりの数が米国本土に到達して爆発していたにもかかわらず、その被害については、厳重に秘密にされ、いっさい発表されませんでした。風船爆弾の戦果については、確か戦後かなり経過してから、米国の情報公開制度によって明らかになったのではなかったかと思います。回天についても同様の経過から被害が秘密にされているといった状況は考えられないでしょうか?
    みや

  10. 回天の戦果については、なぜか最近まで公開されていなかったのです。なにを恐れていたのかは判りませんが、公開されてからまだ1〜2年しか経っていないのです。そういえば、今年ウルシーでミシシネワが発見されたそうです。
    GO

  11. ミシシネアの発見記です。南海の蒼天を宙する黒煙が墓標のようであったそうです。

    http://www.bentprop.org/mis01.htm
    IWA

  12. >11
    これはいいですね。初公開の沈没直前の写真もあり、調査写真もあり。いいものを教えていただきありがとうございました。
    GO


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