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1189 米海軍のインディアナポリスは広島型原爆の部品をレイテに運んだ後日本潜水艦に撃沈され、1000人ぐらいの乗員が300人程しか生き残れなかったと聞きますが、その犠牲者の大半が映画「ジョーズ」の中の説明であったように鮫の襲撃の為というのは本当でしょうか?(素人でごめんなさい)
デットン

  1. この件はついこないだも見たな、と思ったら、Qの1174の回答の中にありました。
    結論からいうと事実だそうです。

    便利少尉

  2. 質問されているのは鮫の件ですのでどうでもいい話かもしれませんが、
    「原爆の部品をテニアンに運んだ後、レイテに向かう途上日本潜水艦に撃沈され」
    たのだと記憶しています。

    どんべ

  3. 残りがみんなサメに食べられた・・・と??
    BUN

  4. インディアナポリスが沈んだのはレイテ沖で良かったと思いますが、原爆の輸送先はテニアンだったと思いましたが?

    かすた

  5. 救助の遅れが、生存率の低下につながったようです。
    (沈没から救助まで、約100時間かかってます)
    鮫による被害もありますが、疲労衰弱死が大半のようです。
    救助の遅れから多くの戦死者を出した事について、
    米軍内でも大きな問題となり、
    戦後間もない時期に「伊58」橋本中佐を証人起用するという
    興味深い事もしてます。

    ちなみに出典は「総員退艦せよ」(朝日ソノラマ)です。
    だんて

  6.  橋本中佐の証人起用という件は、
    被害の問題もあるかもしれませんが、
    おもに「日本軍が原爆輸送計画を察知したのではないか」という
    疑念からなされたもののようです。

    どんべ

  7. 他のサイトで、下記のような書き込みを見つけましたのでお知らせ致します。

    この2発の原爆の核心である放射性物質はサイパン島近くのテニアン島に輸送されました。1945年7月末のことです。ヒロシマに投下された原爆の核物質は密命をうけたアメリカ巡洋艦CA-35インディアナポリスにより輸送されました。この巡洋艦が選ばれたのは防御力が優れているからではなく、その速力にありました
     
    『この輸送作戦は極秘裏に行われたのでアメリカ海軍当局でさえその就航計画入手や航路追尾が出来ませんでした。インディアナポリスはただ一隻だったのです。』

    サンフランシスコを出航後ハワイの真珠湾に寄港した後、テニアン島に到着、核物質を陸揚げしました。その航海速度は最高値を記録したのです。
    1945年7月30日の深夜過ぎ、ちょうどグァム島とレイテ島の中間点に差し掛かったとき、日本海軍潜水艦イ-58がインディアナポリスを捕捉、6発の魚雷を発射しました。インディアナポリス艦上では通常の深夜勤務状態にありました。無事、勤務交代も済んだので非番者はそれぞれの寝棚に潜り込みました。チャールスバトラーマックウェイ3世艦長も自分の居室で寝ていました。

    魚雷が船殻に命中し、インディアナポリスはばらばらに切り裂かれました。船首が千切れて飛び散りました。インディアナポリスは15ノットを超える速度で走っていたのでこれが船首から太平洋を丸呑みする結果となり、わずか12分で沈没しました。

    1196名の乗組員のうち900名が鮫がうようよする海中に投げ出されました。300名は船中に閉じ込められたまま海底へと沈んで行きました。『インディアナポリスの使命は極秘とされていたので通常の航路追尾もされておらず、したがって緊急信号も何かの間違いだろうということにされました。』

    撃沈されて4日後、1945年8月2日になってやっと最初の希望が湧いてきました。1機のロッキードPV-1ベンチュラがパラオ群島のペレリュー島から発進しました。その目的は敵潜水艦探索でした。海軍巡視爆撃隊VPB-152所属の機長ウィルバーチャックグィン大佐は洋上に流れる油の帯と海中に浮かぶ生存者を偶然、発見しました。

    生存者が全員救助されたのは発見からさらに2日後でした。1945年8月4日のことでした。結局、300名が救助され、900名が海の藻屑となりました。

    以上要点のみ要約して 引用いたしました。『』は、私がつけました。

     私には、事の真偽はわかりませんが、ご紹介いたしました。
     より詳しくは、下記にあります。

     http://www.coara.or.jp/~ryoji/abomb/kansou16.html




    roht

  8. ↑こんな長文わざわざありがとうございました!!
    デットン

  9. インディアナポリス溺死者の何割が鮫の犠牲になったかは神様だけが知る数字です。生存者による手記も鮫の恐怖を実態以上に強調しているかも知れません(無理もないことですが)。しかし誤解してはならないのは、「鮫の襲撃」とは巨大鮫が人間をパクリと一呑みにする事ではない、という事です。小型の鮫でもガブリとやられれば拳大の肉塊が削ぎ取られます。数少ない浮遊物につかまり、食物も水もなく昼は酷暑と直射日光・夜は体温低下と睡魔と戦う悪夢のような漂流生活で、止血の当てもなく流血し続ける事がどれほど危険かは言うまでもないでしょう。直接海中へ引き摺り込まれなくとも、鮫による傷がもとで体力を消耗し、遂に力尽き沈んでいった犠牲者は多いのではないかと想像します。
    ささき


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