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海防艦専門工場として昭和十八年に発足した、協和造船という会社?の経歴を教えて下さい。 ワレアオバ |
http://www.geocities.com/Tokyo/Fuji/3251/parisai10.html
海軍が中山製鋼と、日立造船および三和銀行に、軍艦の製造を要請して来、三社共同出資で協和造船が設立された。 場所は大正区大浪橋の中山製鋼所有地一万数千坪であった。 しかしこの会社は、駆逐艦一隻を造っただけで、アメリカ軍の空襲によりあえなくダウンしてしまった。 そして終戦。 協和造船は「特経会社」として解散の運命になった。
世界の艦船誌 No.320 1983.04 特集・日本海軍の海防艦 から
昭和18年度および昭和19年度戦時艦船補充計画により第1号型(丙型)132隻の予算が成立した。
丙型専門工場として設立された大阪の協和造船では着工されたものの完成した艦は1隻もなかった。
S19.5.20 第 93号 起工
S19.9.08 第101号 起工
S20.1.16 第 83号 進水(進水後浪速造船で施工 未成)
後発・新参の造船所で、施設の建設−生産のたちあげに手間取ったのではないでしょうか。造船資材の割り当ても優先されたかどうか。
IWA
ワレアオバ