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1139 第2次大戦中の輸送船について調べているのですが、「大日丸」の船主や活動についてご教示願えないでしょうか。「知られざる戦没船の記録」の一覧表にはなく、戦後、どのようになったのかも、あわせてご教示いただければありがたいのですが。また、「大日丸」のことが掲載されている資料などありましたら、お教えください。宜しくお願い申し上げます。



TAMAR

  1. 戦時船舶史−駒宮真七郎著−(直販)には以下のように書かれてます。
    大日丸5813総トン、坂谷商船
    昭和18年10月6日高雄発、マニラへ向け航行中8日0245頃被雷沈没、位置N18°−48’E119°−21’付近。
    戦没者:船員64名、乗船部隊2025名

    太平洋戦争被雷艦船史−駒宮真七郎著−(直販)には以下のように書かれてます。
    大日丸を撃沈したのは米潜ガーナードである。
    GO

  2. ご教示ありがとうございます。
    ご指摘いただいた年月日を確認しましたところ、「知られざる戦没船の記録」の一覧表にも載っていました。ただし、詳細については触れられておらず、大変参考になりました。ご厚情に深謝いたします。
    TAMAR

  3. 上記の本は、まだ購入可能です。注文は必要事項を書いた手紙を駒宮さんに送るだけです。
    GO

  4. 度々、ありがとうございます。
    駒宮さんの連絡先は何で調べればよいのでしょうか。
    ご教示をお願いいたします。
    TAMAR

  5. 伝言板187出版延期?から、私にメールを下さい。住所を教えます。
    以前ここに書き込んだとき、やばいんじゃない?と言う声がありましたので、今回は書き込みません。それ以外では気長に前回の書き込みを探すことですが、私もいつだったか覚えてないのでオススメしません。
    GO

  6. 「戦時船舶史」は海人社でも委託販売を行なっています、海人社の連絡先は「世界の艦船」最新号を参照して下さい。

    駒宮真七郎氏の連絡先については世界の艦船のバックナンバーに掲載されているのでそれを捜されては如何でしょうか(読者交歓室かブックレビューに連絡先が掲載されている事が多いです)
    ooi

  7. 「大日丸」は「世界の艦船」誌 NO.564 2000年2月号の、思い出の日本貨物船その42に写真が紹介されていました。
    以下 全文
    伊吹山丸 1922-43
    三井フリートで最初に重油燃焼装置を採用した貨物船である。岩手山丸級2隻の2番船として、1922年(大正11年)4月15日に(三井物産)造船部玉工場で完成。第一次大戦後に開設された北米定期航路(大連〜神戸〜横浜〜シアトル)に就航し、後年は援用不定期船として稼動した。5,814総トン、8,903重量トン 垂線間長 117.3m、幅15.5m、主機三連成汽機 1基、最大出力3,242馬力、最高速力14.9ノット。1920年に同工場で誕生した平甲板型の日米船鉄交換船と同型である。
    1935年に板谷汽船に売却され、大日丸と改名。戦時中は陸軍に徴用されたが、43年10月8日ルソン島西方で被雷沈没し、2,000名を超える将兵と乗組員が戦死した。

    IWA

  8. ご教示ありがとうございました。大変参考になりました。
    TAMAR

  9. 大日丸の最期については 駒宮本 戦時輸送船団史に
    SS254 GURNARD の攻撃の様子(戦歴)は
    http://www.hazegray.org/danfs/submar/ss254.txt
    の third war patrol 7 October にあります。(写真は
    http://www.subnet.com/fleet/ss254.htm)

    以下要旨

    772船団 - SS254 GURNARD

    高雄−マニラ 1943.10.06 - 10.10
    【輸送船4隻】
    大日丸 5,813総トン 板谷商店 ★1943.10.08 SS254 GURNARD
      (旧 三井船舶 伊吹山丸) 
      第11独立守備隊主力、第14軍兵器廠、同貨物廠等 2274名乗船。
    大安丸 5,655総トン 大洋海運 ★1943.10.08 SS254 GURNARD
     独立自動車第63大隊、第112教育飛行連隊、患者輸送隊等が乗船
    他2隻
    【護衛1隻】

     SS254 GURNARDは9月6日、Pearl Harborから南シナ海向け第3回戦時哨戒に出航。 772船団は、10月6日高雄発。マニラ向け航行。
    10月7日
     真夜中近く SS254 GURNARDは 5隻の船団を視認、追従を開始。
    10月8日
     01:39、GURNARDは接近して貨客船大日丸を撃沈。乗船部隊2274名中2025名戦死。船員64名戦死。
     02:45頃大安丸がN18.48-E119.21 ルソン島ボヘアドール岬西北西120km付近で被雷沈没。乗船部隊45名、船員32名戦死。

    残りの船団は10月10日マニラに到着した。
    SS254 GURNARDは10月28日に Pearl Harborに帰投し、哨戒を終えた。


    IWA

  10. >7 援用不定期船 → 遠洋不定期船 でした。 m(_ _;)m

    戦没輸送船関係の情報ですが、阪神地区にお住まいなら、神戸メリケンパーク近くに「戦没した船と海員の資料館」というのがありまして、開館は平日のみで、係りの方も常駐ではないのですが、情報を収集することができます。
    (以下参考)
    http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2000aug/16/06.html

    日本の(戦略)輸送船団護衛と米潜水艦作戦に関する資料(本)と言うのは数が限られるらしいです。野間亘氏が「商船が語る太平洋戦争」という本を執筆中だそうで、博識な方なので期待しているところです。

    IWA

  11. その他 「大日丸」の活動について、駒宮真七郎 戦時輸送船団史 1987 出版共同社 にあったものです。

    ○ 上陸作戦 比島方面 ラモン湾(1941.12.24実施 20隻) 大日丸
    ○ 第2師団輸送 門司−馬公 1942.01.21-1942.02.26 第一輸送隊第2分隊(7隻)  大日丸
      船団はその後カムラン湾に終結し、他船団と合同の上、ジャワ西部上陸作戦を実施した。
    ○ 上陸作戦 ジャワ島メラクおよびバンタム湾(1942.02.28実施 47隻) 大日丸
    ○ P512船団 宇品−ラバウル 1943.04.23-05.19 【輸送船4隻】 大日丸 【護衛1隻】
    ○ ト906船団 パラオ−佐伯 1943.06.19-1943.06.28 【輸送船6隻】 大日丸(部隊800名搭載) 【護衛2隻】
    ○  772船団 高雄−マニラ 1943.10.06-1943.10.10 【輸送船4隻】 大日丸(部隊2,274名搭載)【護衛1隻】

    IWA

  12. 6のooiさん、戦時輸送船団史は海人社の在庫はなくなってます。私が書店で注文した時に、在庫がないので直接駒宮さんに注文して下さいと言われたんです。
    GO

  13. >12
     ええと、戦時船舶史は2001年7月号の在庫にありますけど、あっちも無くなってるとか?戦時輸送船団史は無いみたいでしたけど戦時船舶史の方はあるみたいだったからああ書いたのですけど、海人社に問い合わせたわけじゃないから拙かったかなぁ。(^^;;
     なんにせよ、ご指摘ありがとうございますm(__)m
    ooi

  14. 数々のご教示ありがとうございます。
    TAMAR


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