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大和型戦艦の集中防御形式は(非装甲部分があまりにスカスカで「武蔵」はここに魚雷を受けて浸水が増大したと)あれこれ批判を受けていますが公平に見てここまで叩かれる必要はあるのでしょうか? 高木狭摩 |
SUDO
参考までに、武蔵があれこれ批判を受けているというサイトを紹介いただけないでしょうか?
bluefish
だいたい、片舷10本も食らうなんてこと自体が想像外ですから(^_^;)
#水雷戦隊や潜水艦による雷撃では、いいとこ片舷4本も当たらないでしょう
tac
↑で書かれているように、武蔵の被雷本数以上に被雷して浮かんでいられた
軍艦があれば批判してもいいと思うのですが。
takky
なってればもっと耐えれたと言いたいだけでしょう。
便乗質問ですが、希に小説で大和型の水密扉の強度が不足気味で水圧で突破
されたというのを見るんですがそんな事実はあるんでしょうか?
taka
実際、武蔵の沈没は空襲終了からかなり時間がたってのことで、
浸水量が徐々に増大していったが故でしょうから、
水密扉が保たなかったというのは多分事実なのだと思います。
私が昔読んだ「戦艦武蔵の最期」に掲載されていた武蔵浸水概略図では、
非装甲区画はほとんど水に浸かっていたようでした
(もう小学生の頃の記憶ですが)。
勝井
いくら大量に浸水したところで、扉の受ける水圧は水深よりは大きくならないはずですので(浸水しているのに高速で走り回るというのは論外)、ある扉が受ける水圧は、浸水量に関わらないと思います。
時間が経って水没したのは、扉の問題ではなく水密性が保てなくなるほど、ガタガタになったのではないかと思いますが、いかがでしょう?
bluefish
防御構造もさることながら適切な応急対策が行われるかどうかが重要ですね。
tac
信濃の被雷数は4です。扇状に6本撃って前と後ろにすり抜けた2本を除く4本が艦の中央から後半部にかけてほぼ均等な間隔で命中しました。
魚雷も威力の大きい潜水艦魚雷(炸薬308kg)でした。装甲区画に命中した3本は全て装甲を打ち破って内部の被雷側舷の缶室、機械室他の大区画6個を満水させています。
さらに信濃は船体内部の区画が大和型より大区画部が多く、浸水が容易な区画配置となっていました。大和型の弾火薬庫区画が信濃では広大な魚雷格納庫他の空所になっているほか、後部の非装甲区画に命中した1本も、大和型にはない大型の揮発油庫区画(中心線隔壁あり)を片舷分全区画浸水させています。
信濃の命運が尽きたのは直接にはこのような極端な片舷浸水による傾斜によって約2時間半後に動力が停止したためで、その後5時間かかって最上甲板までの浸水が進むという経過であったようです。おそらく注排水装置が健全でも(実際健全であったのではないかとも思っています)この被害状況では傾斜は復原できなかっただろうと考えています。
日本の軍艦は浮力を失う前に横転して沈没する例が多かったようです。これは浸水した際に浸水量が左右均等になるような区画配置としなかったためで、そのようにしたのは船が半ば水船となるような帆船時代の戦闘経験(ボコボコになるまで撃ち合う)を日本海軍が持たなかったためではないかと思っています。
IWA
tac
ザイドリッツ
「 1944年4月3日、英艦載機は800kg大型徹甲爆弾4発、250kg爆弾10発を、主としてテルピッツの右舷に命中させた。死傷者438名を出したものの、さすが装甲の厚いテルピッツは船体を貫通されなかった。
英パイロットは感心した。
同年8月24日、雷撃機バラクーダーの800kg大型徹甲爆弾2発が命中した。だが、さすがテルピッツはびくともしない。
宿敵テルピッツは3カ月後、英空軍のランカスターが投下した6t爆弾トール・ボーイにより、ようやく沈めることができた。」
となってますね。
ザイドリッツ