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1119  大和型でもう一つ行きます。
武蔵は高角砲を増備せず、代わりに三連装機銃を増備しました。
ここで思ったのですが、マリアナ沖海戦からレイテ沖海戦までの約四ヶ月の間に
計画通りに高角砲を24門にしようという考えは無かったのでしょうか?
 時間的に出来なくはないと思うのですが。やっぱ無理でしょうか?

Take

  1. 結論からいきますと、不可能だと思われます。なぜかと言いますと、マリアナ戦後に武蔵が呉に在泊していたのは昭和19年6月末(中城出港が6月23日なので呉入港は6月25、6日くらいでしょうか?)から同年7月8日までです。そのあとは中城経由でリンガ泊地に出向き、レイテ戦直前まで同方面で訓練に従事しています。単装機銃くらいなら増備出来たかも知れませんが、高角砲12門の増戴と防盾の移設は相当の準備がない限り、不可能ではないでしょうか?
    ちなみに大和の場合は、レイテ戦後に充分な時間がありましたので、昭和19年11月24日から翌20年1月3日まで呉工廠に入渠し、三連装機銃の増備や防盾の増設を行っています。ですから、レイテ戦をもし武蔵が生き残った場合は、Takeさんの言われるような可能性もあったと私は思います。もちろん、シブヤン海での例の大損害がない場合という仮定になります。
    ワレアオバ


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