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「戦艦大和が30ノット出せないから空母と共同作戦が出来なくて役立たなかった」なんて話の30ノットって言う数字は何が根拠なのでしょうか? また、いつ誰が言い出したのでしょうか? またまた古典的な質問ですがお答えください。 大山亜貴寛
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- 金剛型と同等の速力なら良かったのにって事ですかね?
しゃるほ
- これはひょっとしたら大和原案検討時についての中沢回想が遠い源かもしれませんね。大和に対して軍令部は「空母随伴の為に」30ノット以上の速力を希望していましたから、この辺りを戦後の出版物が紹介したのが始まりではないかと想像しています。
BUN
- 海面状況を無視しまして、無風状態の中であっても、30ktの速力があれば、昔の飛行機は発艦が可能だったそうです。結果、航空母艦は
速力30ktを標準としているのではないでしょうか?
現代においても飛行作業時における相対風確保のためでしょう、空母、めっちゃ速いです。キティホークぶっちぎりでした。
船乗り
- 大和建造当時の空母の発艦時の速力の基準は12m/秒(23ノット程度)です。その後14m/秒(27ノット程度)まで引き上げられますが、この速力があれば無風時の発艦が可能とされています。加賀の改造の内容や彗星が隼鷹型で運用を制限されたのもこの基準が影響しています。ただ大和型に要望された高速が飛行機発艦時の追従の為かどうかはわかりません。当時の戦術では空母が戦艦を率いて変針し飛行機を発艦させるとは考え難いのではないでしょうか。
BUN
- この手の話を聞くと,正規空母『加賀』の速力28.3ノット(世界の艦船より)は何なんだ?と思うのですが。確かに,大和が竣工して参加した最初の作戦で沈んでしまった空母とならば共同作戦は可能だった。てのは言い訳じみてますが。
虎ノイ
- ↑それをいっちゃうと、日本の軽空母群は軒並み30ノット切ってます。
勝井
- 軽空母だけじゃなく、結果的には翔鶴級に次ぐ主力空母となった準鷹級も速力は25ノットだし、よくよく(?)考えてみれば、レイテ沖海戦の伊勢級(25ノット)だってアメリカのサウスダコタ級(27ノット)だって空母との共同作戦をとっているんですよね。そういう意味では、「大和が30ノット出せなかったから空母と共同作戦が出来なかった」というのは根拠どころかかなり事実と矛盾してるのでは・・・・・・
明石耕作
- 私はそうは思いません。大和が17万馬力を発揮して主力航空戦隊の空母に追随する時、やはり不都合が起きるでしょう。
BUN
- >質問者の方
取り敢えず、中沢佑伝を読んでみては如何でしょうか。
明確な回答は得られないとは思いますが、足がかりとして。
回答は私も知りませんのであしからず・・・。
E史観研究所員
- ↑ うむ、中沢さんの伝記を読ませて、研究所員を増やす魂胆か?
tackow
- ↑ うっ、バレたか(笑)
E史観研究所員
- こちらに書き込むのは初めてで、ちょっと緊張気味です。
中沢メモを元にした件の本には、「空母、巡洋艦と機動作戦を行うため」に最低30ノットを要求した旨が明記されています。
よって個人的には、当該図書が質問の有力な数的根拠と考えます。
ただ、この時期の軍令部が想定した空母との「共同作戦」は、二次大戦時の高速戦艦運用とは根本的に異なっているとは思いますが。
ついでながら中沢本には新型戦艦のコンセプトは高速、重武装であった旨の記述があり、また、長砲身40センチ砲も考慮されたが、検討の末退けられた旨の記述もあります。
奈良の人
- 大和の最高速度は27ノットが限界だそうですが、当時大和に乗艦していた乗組員の証言によると、大和は全力公試運転で最大29ノットを記録したそうです。(ただし、これは艦が異常振動を起こすほどの限界点だったそうですが・・・)
一説では、大和の最大速度が27ノットという中速に押さえられたのは、最大速力発揮時での航続距離を延ばす為であったという説も有りますが・・・
ナガト
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