QQCCMMVVGGTT
1084 航空戦艦伊勢型は、火薬式のカタパルトを装備しているのに、航空機の連続発進を可能にしていますが、火薬式のカタパルトは、いちいち火薬カ−トリッジを取り替えないといけないと聞きましたが、どのようにして、可能にしたのでしょうか?また、火薬式だと、メンテナンスが大変だし、長持ちしないと思うのですが、その辺りはどう対処していたのでしょうか?最後に、伊勢型には結局、航空隊は付きませんでしたが、カタパルトを残しているところを見ると、偵察機を搭載していたのでしょうかね?
キン肉マン12世

  1. 火薬式カタパルトに実用上大きな問題があった訳ではありません。連続射出は伊勢型で初めて検討されたのではなくカタパルト開発当初から構想されていたことで、日本の主力艦には欧米に比較して多数の飛行機を搭載する計画が常に存在していました。
    また伊勢型の航空兵装は攻撃機の発進に重きを置いていたので、搭載機もそれに適した機種が選定されています。実際には彗星と瑞雲が伊勢と日向に比率は艦ごとに異なりますが約半数ずつ搭載される予定にあったものと思われます。
    実際には飛行機を搭載して出撃することはありませんでしたが、最後まで整備科の兵員は配置にありましたし、彗星二二型に続く射出用の爆撃機も試作されています。状況によってはレイテ以降も再び補助空母として出撃した可能性も皆無ではありません。
    BUN

  2. レイテ後かどうか記憶で書いているので曖昧ですが、カタパルトは4番主砲塔の
    対空砲撃に邪魔だという事で撤去されませんでしたっけ?
    bluefish

  3.  あれ?カタパルトは戦闘中は外側に展開させるのでは?もちろん後部主砲塔の射界確保の為ですが。
     エンガノ沖で対空戦闘中の伊勢の写真を見ると、カタパルトは艦の外側に後ろ向きに向けられてるようですが・・・呉で防空砲台となってからは撤去されたのでしょうか?
    Take

  4.  確か伊勢型のカタパルトは一分間で5機の射出能力を持ちます。単純にいくと12秒間隔です。12秒程度だったらカートリッジの交換も何とかなりそうですがどうでしょうか?
     メンテナンスの件ですが、火薬式ゆえの磨耗の問題は検討された様です。しかし、米空母の油圧カタパルトのようなカタパルトがまだ実用化できていなかったので、火薬式しかなかったのもまた事実です。多分磨耗したら新しいのと取り替えるつもりだったのでは?
     航空隊についてですが、伊勢型の航空隊は存在しています。部隊名は忘れましたが、訓練もやっています。但し、台湾沖航空戦に転用されて壊滅したようです。台湾沖の件が無ければ、伊勢・日向に搭載されて出撃したかも・・・
    Take

  5. 伊勢、日向に搭載予定であった瑞雲隊は634空所属です。

    634空のこの時期の記録はなく、生存者の方の回想によると

    瑞雲隊は
    ・台湾沖航空戦時は指宿基地にて待機
    ・10/17に呉空出撃で東港基地経由にて10/20カナカオ基地(フィリピン)に20機で到着

    となっていますので台湾沖航空戦にて消耗というのは違うと思われます。しかも10/17まで内地にいたことになっていますで”飛行機隊がいなかったのでからで出撃した”というのでない、という様に推測しています(空母ではこのころから飛行機の積み込みを始めだしているので、何らかの判断により瑞雲を水上機基地から作戦させたものと推測しています)。

    634空の彗星隊は状況がわかりません。
    川崎学

  6.  伊勢型のカタパルトは比島沖での戦訓から撤去されたようですね。もちろん、最早航空機を射出する機会が無いだろうと判断しての事でしょうが。

     カタパルトの能力ですが、12秒毎に1機とはいささか過大ではないでしょうか?確か、30秒毎に1機、約5分で全機射出完了、という能力であったと記憶しますけど・・・

     634空の瑞雲は比島方面で消耗したのではないでしょうか?偵301の瑞雲と合わせて30機以上が同地に進出した筈なので、台湾沖で壊滅したということは無いと思います。
     余談ですが、比島沖で「プリンストン」を撃沈した彗星は634空の機体かもしれませんね。
    tackow

  7. エンガノ岬沖海戦では伊勢だか日向のカタパルトは至近弾を受けて台座からはずれ、舷側から落ちて何人かの兵員を道連れにした、という記述をどこかで見ましたが、、、
    Navy


Back