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マレー沖海戦で、英軍の戦艦が簡単にやられてしまったのはなぜでしょう?対空火器も充実してたはずなのに。 本村 |
それに、艦が回避行動を行うから命中率はぐーんと下がる。
簡単に説明するとこんな感じ。
ベルゼバブ
同時期の日本軍の同程度の艦と比較しても勝るとは言いがたい程度の装備です
SUDO
単艦の対空砲火なんてたかがしれてます。
ある程度有力な火力をもってたのはPOWただ1隻。
これじゃどうしようもありません。
後の大和のごとく、なぶり殺しにあったわけです。
勝井
陸攻は護衛戦闘機がついておらず、もし直援隊がいたなら陸交は攻撃どこうではなかったでしょう。英戦艦も損害を受けたでしょうが沈むことは無かったと思います。直援が無かったのは、地中海でイタリア艦隊にしてきたことの教訓が生かされなかったのか、日本をなめきっていたんでしょう。
名古屋市民
「大和」の場合のべ一千機(多少誇大でしょうけど)といわれる
航空機にたたかれてます。それに比べ英艦は百機弱の陸攻の攻撃で
大和と同等の命中弾を受けてます。艦長の腕の差もあるでしょうが
開戦当時の日本のパイロットの練度が異常に高かったためもあるの
ではないでしょうか?
taka
一言に尽きるのだとおもうのですが。
当然航空機に対する認識は末期のそれと比べて違うであろうし、
また航空機に対する戦術、操艦方、艦隊運動も違うと思います。
ですから末期の大和と比べるのはどうかなと私は思うのですが・・・
練度どうこうも同じことが言えるのではないでしょうか?
P-kun
Take
スクリュー軸が歪み、それに気づかず機関全力にしてたため、
艦内を引っ掻き回され、回復不能の損害を受けたと。
勝井
まず元山空の雷撃(2本命中)で舵を破壊され、電気系統も故障して使用可能の高角砲は一門のみ。このとき対空機銃も結構やられたのでは?
この後戦場に到着した、鹿屋空、美幌空の爆雷撃(手元の資料では爆弾2、魚雷5)で止めを刺されます。
最初に操舵機構が破壊されたのが痛いです。これでは回避運動どころじゃありません。
レパルスの方ですが、爆弾1発が後部煙突付近に命中。その後鹿屋空の魚雷5本(13本と言う話も有りますが・・・)が命中して沈没します。建造されたのが1916年の旧式艦ですから5本で充分と思います。
Take
でなけりゃ攻撃にあたった陸攻の相当数が被弾してる事実を説明できないし、
実際問題として爆弾1発やそこらで火力を潰しきるなんてのも不可能です。
勝井
電路が切断されている艦が、まともに対空戦闘できると思う?精々人力操作可能な7.7mm機銃を
射つか、限られた射角で砲撃をするか(重量のある砲を手で回す/加えて給弾するのは
大変な事です)しか出来ないのだから。それに対空機関砲の主力であるポムポム砲は弾詰まりが
酷くてまともに連射できない状態だしね。
日本海軍機の被弾機数が異様に多いのは偶々攻撃高度が英艦の高角砲弾調定高度と一緒だった事と、
英艦艇が手持ちにある7.7mm機銃まで総動員して撃ちまくった事の相乗効果に過ぎないと思う。
大塚好古
ネブラスカ
かなり差があると思います。
ビクトロラ
仮想中攻としてちょうどいい練習相手になったんでしょうがねぇ・・・
やってなかったのかなぁ? ちと疑問。
SADA
彼の国の空軍は、陸海軍に対して協力しようという気持ちに薄いので、合同訓練は大演習のときくらいで、あまりやってなかったです。
沿岸軍団の襲撃訓練は、空軍の持ち船が曳航する標的に対して行なうものですし、攻撃方法もこの当時では単機ずつがそれぞれ照準・発射する方式ですから、どのみち有効性は?でしょう。
それに、ボーフォートは1941年では最新鋭機だったこともお忘れなく。
40年までは複葉単発のビルドビーストが幅を利かせていたのですから。
まなかじ
攻撃機のマトになるだけではなく、それに対する回避運動も実体験する事ができるという代物で
英軍と比較したら、艦の回避技量も違っていた可能性は有ります
まあ、以降の南方攻略戦では連合軍艦艇の爆撃回避もかなり向上していますから実戦経験の問題なんだろうとは思うのですが
ダンケルクとか地中海で嫌ってほど爆撃されてるとも思うのだが>英艦
SUDO