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1057  レイテ沖海戦で、航空戦艦「伊勢」ハ、44機も米軍機を撃墜したそうですが、「伊勢」よりも強力な「大和」、「武蔵」はあまり戦果がなかったように思えますが、どうなんでしょう。    エンガノ岬沖海戦で、「秋月」は沈没するまでの短い間に13機も撃墜。これって駆逐艦にしてはすごいと思います。他の海戦ではあまりこのような戦果は目にしませんが・・・。
伊-12-8

  1.  フィリピンシーの戦いで日本の機動艦隊は対空砲火により米軍機約70機撃墜というておりますが、
    実際に落ちたのは6機です。まあ、そんなもんですから暖かい目で見てあげましょう。
    大塚好古

  2.  レイテ沖では戦艦の副砲も対空戦果を記録してますね・・B−24も血祭りに挙げたとか・・暖かい目で見てあげましょう(笑)
    tackow

  3. 武蔵1隻で数十機を墜としたなんて話も戦記ものにはあったりします
    勝井

  4.  あんがいそんなものなんですね・・・。ってことは「大淀は主砲と高角砲を一斉射撃して12機くらいの編隊に対し、いっきょに8機撃墜」という文も目にしましたがこれも・・・、かなりショック。話は変わって、同海戦で第43駆逐隊の「桐」「槙」「杉」の3隻は何をしていたのですか。同じ隊の「桑」はけっこうめだってるのに、この3隻は見当たりませんが・・・。
    伊-12-8

  5. 戦闘詳報というカタイ文書にも書き手の個性が出るなぁ・・・と思う今日この頃。
    BUN

  6. 「艦長、〇二五五、左舷に落ちた艦攻、あれはウチの機銃です。」「おう、入れとけ!」というような会話は無かったのだろうか・・・。無かったんだろうな。
    BUN

  7. >4 43駆逐隊の話も聞きませんが、軽巡「鹿島」の武勇伝も聞いたことありません。エンガノ沖海戦に参加した4軽巡ですが、目立つのは「大淀」と防空艦となった「五十鈴」の二隻。落伍した「多摩」は仕方ないとしても、「鹿島」の活躍を聞いた憶えが無いのですが・・・ちゃんと帰還してるのに・・・
    Take

  8.  今思ったのですが、43駆逐隊は第一次攻撃で沈没した「千歳」の生存者の救助に回っていたのでは?
    Take

  9. 小澤機動部隊の丁型駆逐艦のうち、桐と杉は空母からの落水者救助のために主力から離れ(ただし戦闘詳報などによれば、燃料不足により帰投を命ぜられたとされています)、結局10月25日の戦闘には参加しませんでした。槙については25日の戦闘で魚雷発射管に爆弾の直撃を受け、連管員や付近の機銃員多数が死傷する被害を出しています。
     なお、艦船の戦闘詳報は艦橋において主計科士官や下士官が戦闘全般の流れについて記録した物を元に、各科各配置関係からの申告等を合わせて主計科でまとめられた公式記録です。特に捷号作戦や天号作戦関係のものを読むと、記述者、また乗組員などの苦闘・流血・叫びを感じることができると思いますが、書き手の個性云々はともかく、戦果の誤認を馬鹿にするような言い草や、艦橋でののんきなやりとりがあっただなかっただ言うのは、あの戦いで命を落とした方々、また命を拾われた方々を愚弄することになるのではないでしょうか?
    潮部隊司令部

  10. 当時、苦労された方を愚弄するつもりは毛頭ありません。
    ただ、公式記録である戦闘詳報でさえ、数々読む中では個性を感じると言っているのです。また当事者の方に敬意は払いますが、それに傾倒するあまり一切の戯言は許さないという第三者の見解もまた異様です。私はどちらかと言えば真剣に戦闘詳報を読んでいる者ではないかと自認していますが、やはり首を傾げる箇所、その思いは理解できるものの、つい笑ってしまう記述などは存在します。繰り返しますが、私は戦闘詳報を読んで「笑い」ますし、場合によっては書かれた事実を大いに疑って読むことにしております。貴兄の様にやや文学的に味わいながら読む人間ばかりではないのです。それが公文書というものでしょう。
    BUN

  11. 戦果報告は日米ともに誇大気味だったようですが、報告から事実を知るには日本側のほうが甘かったようです。
    W.J.ホルムズ 太平洋暗号戦史 妹尾作太男訳 ダイヤモンド社 1980 から
    「日本軍は戦闘中の観察を基礎とした戦闘報告をチェックする組織を有していないことは明らかであった。日本軍の戦闘報告の大げさなやり方から、日本政府のいかなる機関も、戦果の評価を下そうとするには、大きな勇気を必要とすることが暗示されていたが、評価なしにはその後の計画と決定とは、危険な架空の数値に基づいて行われることになる。われわれ(ホルムズの評価課)の任務はただ真実を確かめることであったことに、私は感謝している。」
    大井篤 海上護衛戦 朝日ソノラマ 1992 から
    「われわれ(海軍参謀)は戦闘の現場にいるわけではなく、簡単な電報で判断するのである。電報にもっともらしいことをならべてあると、それを嘘だという訳にはいかない。具体的な根拠を持たずに”これはあやしい””これは信用できぬ”といい加減に天引きをやるわけにはゆかなかった」

    IWA

  12.  確認とれました。「杉」「桐」の二隻は機動部隊と別行動してます。いい加減なことぬかして面目無い次第です。
     



    Take

  13. 軽巡洋艦「鹿島」はレイテ沖海戦時、呉・台湾間で
    第2航空艦隊物資輸送にあたっていた筈ですが・・・
    「桐」「杉」は24日の瑞鶴上空直援零戦の着艦失敗で海に投げ出された
    整備員と搭乗員を救出するために捜索後、
    「別」の機動部隊と合流!?
    その後逃走して台湾着となっています。
    クライスト

  14.  「桐」と「杉」は逃走というより、燃料に不安を感じたため機動部隊本隊から分離したのではないですか?
    tackow

  15. 公刊戦史には「桐」「杉」は燃料補給のため離脱と書いてあるそうですが
    「桐」駆逐艦長川畑誠少佐の証言によると
    その夜アメリカ機動部隊と合流後離脱したとあります。
    「艦長らちの太平洋戦争」(光人社NF文庫、佐藤和正著)
    クライスト

  16.  その件ですが、既に24日の1515に前衛を分離して南下させているのにも関わらず会敵しておらないことや、分離した場合の集合地点やら米艦隊の位置からしてもなんらかの誤認ではないかと思うのですが・・・真相は藪の中ですかねえ、、
    tackow

  17. >15 僕も二週間くらい前に立ち読みした本の中に、そんなくだりがあったのを憶えています。なんでも、米機動部隊のシャーマン隊の艦列に気が付いたら混じっていたというのですが。雷雨でレーダーが調子悪くて、米側も気付かなかったのであろうとか何とか。「桐」「杉」の二隻だけでなく、前進した松田部隊も下手するとシャーマン隊と砲撃戦が起こるところまで接近していたと書かれていました。タイトルは後ほど調べてきますが、読んでて気になる部分が結構ある本でした。
    Take

  18. 「鹿島」もいたんですか。18ノットしか出ないのに・・・。ついでなんですが同海戦で「青葉」と「北上」はどうしてたんですか?
    伊-12-8


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