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1035 第2次大戦時、日本には大和ほどの大型戦艦をを整備できる基地の数はどれくらいでしょうか?
ジーン

  1. 呉と横須賀だけじゃないですか?
    建造なら長崎でもできますが。

    外地なら、トラックくらいでしょうか。
    ここなら工作艦が張り付いているでしょうから、
    ある程度のことはできるかと。
    シンガポールの浮きドックは確か5万トン級ですから大和級だけは駄目か…
    勝井

  2. 勝井さん、横須賀と言っても大戦末期にならないと無理だと思いますが…。
    無限

  3. 大和級が入渠可能なドックは佐世保にも1基(単位がわかんないよう)ありました。横須賀の6号ドックは「信濃」建造中だから使えませんね。
    さいどわ

  4. >1

     勝井先生質問でーす。

     シンガポールには足柄が入ると前後左右が思いっきりあまる妙にでかいドックがあった様な
    記憶があるんですが、あれには大和型は入れないんですかぁ。
     あと戦艦を中心とする結構な規模を想定した英極東艦隊の根拠地たる軍港がトラックの工作艦に
    造修能力が劣るんですかぁ。教えてくださーい。

    無知な初心者

  5. 斯様に仰せですが。

    シンガポールの浮きドックは確か5万トン級ですから大和級だけは駄目か…

    無責任男

  6. 佐世保の大和対応ドッグは、確か第7船渠だったとおもいます。ただし修繕用。
    ペンギン

  7. >4
    日本の工作艦明石は、平時における連合艦隊の修理・整備関係の年間総作業量の4割を1隻でこなすことの可能な優秀艦です。
    並の軍港の整備能力じゃ太刀打ちできません。
    勝井

  8. >4
    さすがにその質問には無理が(笑)
    基地だけじゃ何もできないですよぅ。
    優秀な工員あってこそ。
    シンガポール占領後に開設された工作部にどれくらいの工作能力があったのか知りませんけどね(^^;
    それより敵国師匠、敵国の浮きドックには大和入るっすか?

    と思ったんですが。。。
    >7
    すいません、その回答だとこういう疑問が。。。

    カキかきとか艦底塗装ってどーっすか(笑)
    これも立派な整備の一環ですけど。
    業務の種類によっては、工作艦じゃ難しいか効率悪いかする作業もあると思いますよぉ。

    特上とか並とか工数とかもあると思いますけど、こんな視点は邪道でしょうか(笑)
    ゴミ猫重装改

  9. ↑いや、なんか記憶の片隅にシンガポールには大和型が入りそうな巨大なドックがあったような
    記憶があったもので(汗)。セレター軍港って浮きドックしか無かったんでしたっけ?<でかいドック

     まあ浮きドックの場合多少ドックが小さかろうが気合と根性があれば何とかできるのは
    チラチャップにおけるマーブルヘッドの例もあるのでいざとなったら何とかなるかな、と(をい
    (後ろ半分だけをドックに入れて浮揚,修理するなんて、アメリカ人も無茶やるなぁ)


     …シンガポールの工作部って戦争中に結構色々と作業をやってたような記憶もあるんだけど、
    実際どのくらいの工作能力があったのでしょうね?規模・設備的に遥かに劣るスラバヤが小型艦の
    修理を結構こなしていた様な記憶もあるし、結構な整備能力があっても良さそうなものだけど。
    無知な初心者

  10. >ゴミレス
    日本になぜ米海軍の基地・工廠(他に表現が…)があるのか、なぜ他の国にはないのか。
    これは旧海軍工廠の能力の賜物だそうです。
    旧海軍工廠の能力の高さ(特に、工員の能力)は、敗戦時でも、米本土以上の作業能力があったそうで、
    米本土以外で、応急でない艦艇の修理ができる場所は、現在でも日本しかないそうです。
    F2A

  11. >物知りな初心者さま
     福井静夫先生によれば、セレターの工作部(101工作部)は昭和18年には内地から派遣された工員が約200名、現地工員約5000名、雑役者数千名という規模であったようです。
     損傷艦の修理だけでも巡洋艦から輸送艦まで相当数を実施していたようですね。
     
     肝心のドックですが。三菱の商船ドックなども用いていたので総数は何とも言えませんが。大きさ的には、最大のものは「キングジョージ6世」ドックで、具体的な大きさは判然としないのですが「呉の第四」や「横須賀の第五」に匹敵し「いかなる大型艦も」入渠可能ということですから、下手すれば大和型も入渠可能であったかもしれません。
    tackow

  12.  家に帰ったので資料に当たりました。

     シンガポールのセレター第一船渠(キングジョージ6世ドック)は全長約307m、幅が約40mなので
    やや幅が辛いかもしれませんがなんとか大和型が入渠出来そうですね。
    足柄と名取が本ドックに入渠修理している写真がありますが、流石にでかいです。
    無知な初心者

  13. >tackowさん
    どこからそんな工員集めたんでしょうね。その分国内能力低下しないのかなぁ。

    >物知り初心者どの
    うまくすれば、昭和18年からは入渠できるところが増えたかも知れないってことですねぇ。
    爆装ゴミ猫

  14.  造船部のある海軍工廠の場合ですと、昭和15年の工員数は、一番でかい呉で約5万人(+臨時工が約1万7千)、一番小さい舞鶴で工員約7千5百(+臨時工約4千5百)ですから、多少引き抜かれても大丈夫だったのではないでしょうか?
     
     ちなみに、包括して記載された資料が無いのでなんともいえないのですが、ラバウルの第八工作部の工員数は約80人とか、トラックの第四工作部パラオ分工場の人員数が1400名とかの記録もあるので、かなりの工員さんが海を渡っていったのだと思います。
    tackow

  15. 勝井山、あれから明石の工作能力について、少しは調べてウラをとったの?
    BUN

  16. ↑『昭和造船史』じゃ不足ですか?
    勝井

  17.  確かにその本でも明石を誉めてるけど、裏って、なにをもって「40%」としているか、じゃないかな?
    tackow

  18. >勝井山さん
    昭和造船史みたいないい本持ってないのでどんなこと書いてあるか知らないので教えて欲しいのですが、明石が負担可能とした4割の工数の作業内容はどういうものなんですか?
    私見ですが、各工廠の作業力を造船や大工事に振り向けるために、簡単だけども数が多い工事を明石に分担させたのではないか、実はそういった工事が全工廠の年間工数の4割を占めていたのではないか、と勝手に想像しています。
    明石の工数消化能力は絶大だけど工事規模は限定されており、大和のような巨艦の整備は手に余ったのではないかと考えているのですが。
    こういったことは書いてありませんでしたか?
    ゴミ猫

  19. すいません、おかしいや、訂正。
    「全工廠の年間工数の4割を占めていたのではないか」
    ->「全工廠の年間工数の大部分を占めていたのではないか」
    4割だったら全部明石が担当できて、工廠失業だわ(笑)
    試製ゴミ猫

  20. 『昭和造船史』から明石関係の記述を拾ってみますと、

    「昭和14年当時の連合艦隊所属艦の年間一般修理工事に必要とした
     延べ約35万工数に対しその4割程度を消化し得ることに目標を置く」
    「工作部関係員433名」
    「艦の総床面積9,685uの約30%の3,099uが各工場に充当」
    「公試排水量約10,500t中、工作部関係は設備及び材料合わせて約2,500t」
    「設備した工場数は23、
     鍛冶、板金、溶接、鋳造、銅工、機工、仕上および組立、焼入、木具、
     電気、無線、兵器(砲熕・水雷・光学)、航海兵器、製図並びに各種試験室など」

    などとあります。
    この「4割」という数字は『昭和造船史』の他、
    光人社『写真日本の軍艦』でも確認できました。
    特筆すべきは工作機械で、350tプレス機や最大23tクレーンなどを装備しているのですが、
    これらを含む工作機械の大半が当時最新式のもので、
    中には他工廠にはない、明石唯一が保有するものや、
    当時としては貴重品の外国製機械など、惜しげも無く配置されていたことです。

    要するに明石は、こと修理・整備に関する限り、
    工廠でやることのかなりの部分を実行可能な能力を持っています。
    勝井

  21. >20
    工数って、“工員 X 作業日数” ですよね。
    433人が、月月火水木金金で働いて、年間で

    433 X 365 = 15.8万工数 = 35万の45%  

    と言うことですか。
    でも、あくまで工数であって作業の質は関係なしですよね。やっぱり、重い砲身や装甲鈑を吊れるクレーンがあり、入渠できるドックがあってこそ整備可能と言える思いますが・・・

    TS4989DA

  22. >21
    本題からは多少ずれますが私見を。
    程度問題かな?という気はします。工数35万,というのはそれこそ
    ドックに入って大型のクレーンなどを用いて作業を行うようなものから
    そこまでの設備や資材を必要としない軽作業(?)まで,千差万別のものを
    含んでいると思います。
    その中の40%をトラックに居る「明石」が受け持つ事ができるメリットは
    とても大きいと考えておりますが。
    ”&”

  23.  ここで対象となる戦艦の整備ってどの程度を指すんでしょうか。砲身の取り替えをしなかったり装甲板をわざわざ外したりしない程度のもんなら工作艦で十分とは思いますが。
    tomo

  24. >23訂正 砲身→主砲砲身です。
     高角砲とかならちょっとしたクレーンでもできるでしょうから。
    tomo

  25. カキかき(笑)>整備
    ゴミ猫

  26. >23.
    砲身内の旋条部交換くらいはできるのでは?
    勝井

  27.  主砲の内筒って重量どのくらいありますか?
    tomo

  28. >23
    明石の能力には工作艦であることに起因する限界がありますけど、明石がいるメリットはとっても大きいと思いますね。
    明石が整備基地(拠点)として有用か否かは、あとは質問文に言うところの「整備」の定義次第ですね。

    >27
    大和主砲の内筒ですか? 23tクレーンでどうなるような重さではないんじゃ。。。
    ゴミ猫・金属疲労

  29. ゴミ
     武蔵はトラック進出時、未工事部分があったそうなのですが、25oDSなんかは、水上機用のクレーンで吊ったそうです。
    tackow

  30. >26
    (主)砲の内筒ってそんな簡単に交換できるもの構造なんですか。
    専用の工場のような施設がなければ、ばらせないのでは、と何の根拠もなく思い込んでいましたが・・・
    TS4989DA

  31. 簡単、かどうかは知りません。
    けど、日本艦の場合、弾薬庫空にする位射ったらもう内筒交換の必要が出てきますから、
    換装の機会は想像以上に多いのではと思っているのです。
    勝井

  32. 本題からすれに遊離すること甚だしいですが、流れがそうなっているので。

    >簡単、かどうかは知りません。

    偶然持っている歴史群像26「伊勢型戦艦」に内筒換装のことが書いてありま
    す。これには、必要な設備がなんであるとか手間がどのくらいだなどに関す
    る記述はなく、ただ工程の内容だけが書いてあるだけですが、この作業を「
    明石」においてできたかどうかを想像し、かつそれが可能かどうかを調査・
    考察するのがよろしいでしょう。

    本件に関して詳しく調べていないのであくまでも雑感ではありますが、そも
    そも「整備」ってのの意味が曖昧だから答えようがないと思います。また、
    「明石」云々も四割そのものが嘘ではないにせよ、平時と戦時ではその作業
    と内容が全然違うんじゃないかと想像します。

    私も本件に関して留意してみます。
    今泉 淳

  33. >31 主砲砲弾、そんなに頻繁に撃ってないんじゃないですか?実戦以外だったら砲身内に着けたライフルとかを撃ってたのがほとんどだと思うんですが。
    tomo

  34. セレター軍港には英海軍戦艦の砲身交換が可能なようなクレーンやストック砲身があったそうですが、シンガポール陥落時に
    交換用砲身は捕獲されたりしたんですか?
    Navy

  35.  米の16inMk6/7型砲の内筒交換の際は、尾栓部を外した状態で砲身を引き抜く作業が発生します。
    この場合は砲身を外すのに砲塔上部の装甲板を外す必要はありませんが、砲身を砲塔から引き抜くのは
    かなり大掛かりな作業であり、ちゃんとした施設を持った海軍工廠以外での作業は不可能です。
    伊勢型の本を立ち読みした限りでは日本戦艦の場合も一端尾栓から砲身を外す必要があるので、
    いくら明石の工作能力が高いと言っても戦艦主砲の内筒交換は不可能だと思います。
    大塚好古

  36.  勝井山、tomoさんが仰って様に、平時は日本の戦艦ってそんなに打ってないよ・・・

     各年度で若干の違いはあるけど、年間一門当たり、常装で13とか14発(+α)、弱装で7発(+α)とかですね。+αは研究射撃とか教練射撃を実施する場合、多くても数発かな。
    tackow

  37. 主力艦級(戦艦、巡洋戦艦、重巡洋艦)の内筒交換は容易なことではありません。
    呉海軍工廠では製造用のピットに砲身を立ててたたき出し。
    日本製鋼所では削って削り屑にするそうです。
    戦艦長門は昭和16年6月に内筒交換を行なったそうですが。
    クライスト


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