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航行不能になった艦を友軍が雷撃なので沈めますが、 自沈作業をしなかった為に海を漂っていた艦を敵が回航して 使用した例はあるのですか? (沈没した敵艦を引上げて使用した例は知ってます) ベリアル |
- どっかの本で南太平洋海戦で駆逐艦でホーネットを曳航しようとして失敗仕方なく魚雷で仕留めたと書いてあったような気がするんですが
alphabetta
- 私もうろ覚えで恐縮ですが、ホーネットの鹵獲は大本営だか軍令部の発案で実施されたと思います。確か巡洋艦で曳航しようとしたら曳索が重量に耐えられず切れてしまい断念したはずですが(作業中に敵艦も接近したかな?)・・・。
チャッピー
- うろ覚え3人目で申し訳ないですが(^^;
山本GF長官の命令だったとどっかに書いてあったような。。。>曳航命令
んでもって可能性を調査したら、ホーネットの状態を含めて状況がダメそうだということになって諦めたようです。
作業中に敵艦ってのは、状況からしてないように思います。
近藤中将の2Fはいるわ、瑞鶴と隼鷹は健在だわで、潜水艦とガ島航空隊はちょっと恐いですが敵艦は圧倒できます。
逆にホーネットを砲撃で沈めようとしていた米駆が日本艦隊の接近に驚いて逃げています。
で、自沈せずに持ってかれたって例ですかぁ。。。船台上で鹵獲されたとか、降伏したとかいう例はありますが、さて。。。
太平洋戦争に限って言えば、私は覚えがないですねぇ。
じゃむ猫
- お題の状況に多少近いのではと思うのが、
1941.8.27 英海軍がUボートU-570を攻撃 航行不能にして降伏させて、HMS Graphとして1944年まで実戦使用したもの。(無人で漂流はしてないですが。)
1944.6.4 米海軍の護衛空母ガダルカナルのハンターキラーグループが自沈しそこねたU-505を捕獲して、今はシカゴ博物館に展示しているもの(再使用という点で苦しい ^^;)
IWA
- ↑3、そうだ、米駆逐艦が逃げた一幕がありましたね。しゃむ猫さんありがとうございます。
チャッピー
- さすが大西洋戦線。。。
あ、撃沈された夕雲乗組員が放棄漂流してたアメリカ内火艇を鹵獲して自陣に帰還した例がありますが、駄目?(^^;
じゃむ猫
- (甚だしく記憶曖昧モードですが)潜水艦のダータ?は、愛宕を沈めたあと座礁してしまい、乗組員は別の潜水艦に乗って脱出。この座礁中のダータ?を日本駆逐艦が見つけて牽引して離礁させようとしたが(回航するつもりだったらしい)、結局は、できなかったとのこと。
敵の艦船を日本軍が洋上回収した例があるかどうかは、わかりません。
benben
- 回答ありがとうございます。
大型艦での成功例がないけど試みてはいるんですね。
もっとも大型艦じゃないと、航行不能になっても浮いてませんよね。
ベリアル
- 極めて曖昧な記憶で答えるんで、あまり自信はないのですが。たしか砲艦で、このような例があったような、なかったような・・・。
ツカドン
- ↑7 1944年11月に、座礁し遺棄されたダーターに対して日本海軍は海軍艦政本部の技術士官達を送り込み調査させたようです。一行は一部図面などを入手したものの、レーダや通信機材は破壊されていたり取りはずしができず、スケッチするに留まったとのことです。(木俣 滋郎著「潜水艦攻撃」(光人社)より)
チャッピー
- 8↑ 後で調査するなら、長波と鵯、ぼかすか撃ちまくらなければ良かったのにと思うのは私だけでしょうか(笑)
じゃむ猫
- 同感です。浅瀬に船体を曝していたらしいんですけど、特撮映画のように吹っ飛ぶと思ったのかな。調査、回航するなら触らずに、破壊するつもりならもっと徹底すればいいのに・・なんて。
チャッピー
本来の質問の回答ではありませんので、悪しからず。
>私もうろ覚えで恐縮ですが、ホーネットの鹵獲は大本営だか軍令部の発案で実施されたと思います。
>山本GF長官の命令だったとどっかに書いてあったような。
本件は、一七二〇聯合艦隊参謀長発「情況許サバ敵空母ヲ捕獲曳航サレ度」のことだと思います。
ですので、厳密に言えば「大本営や軍令部」の発案ではなく、またGF長官の命令でもないことに
なります(電令作なら別ですが)。
このようなことは、大本営や軍令部のような後方から聯合艦隊司令部の頭ごなしに現場(前進部隊
や機動部隊)に伝えたり、あるいは聯合艦隊司令部に対して要望するような事項では、常識的には
ないと思います(そもそも、部隊行動や作戦遂行の細部に、東京から口を出すようなことは無いは
ずです)。ですので、そもそも大本営や軍例文の発案云々は、可能性はともかくとして、普通ありな
いと考えます。
また、これが山本長官の命令ではないことは、上記(多分)機密電が参謀長名で打たれていること
からも明らかです。上記参謀長電は「情況によってはこうして欲しい」という「意図」を伝えたに
過ぎず、「命令」というわけではありません。
なお、本件について現場の指揮官や司令部では、後方の聯合艦隊司令部からの依頼に対して不満(あ
るいは怒り)があったことは各種手記などからも良く知られたことですが、これは聯合艦隊参謀長で
ある宇垣纏少将の個人的な発意ではなく、一部参謀から迫られて宇垣少将自身「困難と危険を爾後に
残す」と考えたものの参謀長名での発信になったものです。
今泉 淳
- 今泉さん、久々にお声?を聞いた気がいたします。毎回勉強になります。
チャッピー