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793 戦国時代信長が毛利の水軍に対して使用した言う鉄の軍艦はどの程度効果があったのでしょうか?
またそれからしばらく後の秀吉の朝鮮出兵に鉄の船は使用されたのですか?

旧軍X

  1. 当時日本は水上戦というと相手に焙烙火矢を放ったり、火矢を撃ったり、とぶっ壊すより燃やすことが念頭にあったので薄くても鉄板を張ることは相手の攻撃を封じることになりかなりの効果があったと思います。
    朝鮮出兵でも使われたそうですが、朝鮮水軍は大砲でぶっ壊す という戦術体型のためあまり意味はなかったそうです。 
    紅葉饅頭

  2. それについては洋泉社の「鉄砲と日本人」を読んで下さい。
    矮鶏

  3. ↑「戦国合戦の虚実」でも可。いや、あれは別の出版社だっけ?
    ちゃぼ

  4.  信長の鉄船にしても、かすかな記憶によればNHKのなんかの番組で、対弾
    能力云々で、何センチの鉄板を云々という話だったので、ただ単に対火攻めだ
    けの能力だけで鉄船を作ったのではないのでは?
     朝鮮の場合は船の性能うんぬんよりも、集団戦法により壊滅させられたんで
    はなかったのかなぁ。
     動力のない鉄船の運用という面において、朝鮮水軍が一歩抜きに出てたんで
    は?
    bluefish

  5. 鉄船って何?
    当時、船に張り巡らせる程の耐製弾性のある薄板を大量に製造できたのでしょうか?
    実態は物語で語られるものとは、かなり異なるものだったのではありませんか?
    BUN

  6.  石山本願寺の海戦の鉄甲船ならば、焙烙火矢が船体に突き刺さらない程度の薄板と考えているのですが。
    @安宅船は兵隊や水夫を矢弾から守るための楯が大型化していき、貨物用の船倉と一体化していった。
    Aその安宅船に切り込むことは難しいから火攻めが常用された。
    B火攻めを防げれば安宅船(しかも大砲付き)が使い放題なので薄鉄を張った。
     こんなところでどうでしょう。
    ペンギン

  7. <4 焙烙火矢は火矢なれど矢ならずして手榴弾のような物と心得たり です。
    紅葉饅頭

  8. どうも焙烙火矢は、矢と言うよりはハンドグレネードのイメージに近いようですね。
    SAW

  9. 鉄船とはずれるけどこの時代の戦艦のことなら落第忍者乱太郎の20巻がけっこー
    いいかも
    紅葉饅頭

  10. ここでこっそり暴露。
    NHKの件の番組。あっしもちょっとだけ手伝いました。
    sorya

  11. どうも軍船とか水軍のことはぴんと来ないのですが、当時の軍船で竹の装甲があったのは、あれは何に対する備えなのでしょうか。


  12. >11
    鉄炮の弾に対する備えで、恐らくそれは兵員の防御用のものです。
    竹を束ねたものですと鉄炮の弾を通しません。
    (竹は割れますけれど)

    日本の水軍とはいわゆる海賊衆を起源としたものですから、
    そもそも船を沈めることは二の次です。
    ですから焙烙火矢にしても軍船を沈め去る威力は期待されておらず、
    これも乗員を殺傷するための装備でした。
    戦国時代の軍船といってもまだまだこの海賊衆の延長で
    対艦用の兵装よりも兵員に対しての装備が主です。
    いつの時代でも浮かぶ様にそもそも作られている船を沈めるのは非常に困難です。
    かっぱ

  13. >焙烙火矢は手榴弾みたいなもの、
     まったくその通りです。
     ”焙烙の破片からの水夫の保護、火矢による上部構造物の延焼防止”に訂正します。
    ちょこっと安宅船の模型を見てみたけれど、んcmの鉄板を張るのは無理じゃないでしょうか。今で言う跳弾防御(↑水夫の保護ね)が限界でしょう。

     ちなみに瀬戸内の海賊集が船を沈める場合は、人間が敵船の船底に張りついてノミで打ち抜いたそうです。もっとも延縄みたいなもので櫓櫂を絡めて行き足を押さえてからのことですけれども。
    ペンギン

  14.  今日は集中講義を脱走して大学の図書館で調べてみました。
     和船関連のほとんどが鉄甲船と記述しているのに対して、「和船II」という本だけは「鉄砲弾用の鋼板ではなく、火攻め防止の薄銅板であろう」と考察されていました。
     先にBUN氏他が言われているように、
    @ 対弾性能の高い鋼板の製造と取り付けの難しさ
    A 水軍の戦闘様式が戦闘力の喪失(戦闘員の殺傷)に主眼を置いていた
    B 大安宅船自体が移動可能な矢倉ではあったが、運動性能は低く、死角からの火攻めには弱い
    C 鉄甲船の参考資料として徳川家光の作った大安宅船がよく使われるが、この船の記述自体が100年後の新井白石の命で聞き取ったものであり、誇張と専門的な点での不適格さが散逸される
     ことが論拠のようです。

     なお九鬼水軍が作った大安宅船(鉄甲or銅板船)は「日本丸」と改名されて、水軍の旗艦として名護屋まで行った事まで確認しましたが、海戦への参加までは?です。
    ペンギン

  15.  なんだか独壇場になってきたけれども、、、

    >鉄甲船の渡海
     無かったようです。前述のように旗艦として名護屋にあり、秀吉の渡海に使われる予定ではあったようです。

     また、李瞬臣の水軍は砲戦主体ではなく、地の利を生かした誘引、各個撃破と体当たり戦術を多用したようです。ちなみに日本の軍船は杉材で建造されていたのに対し、朝鮮のものは松材(杉材よりも硬い)で造り、竜骨に似た形状から船首部分を特に強固に建造し、体当たりに適するように船型を低くまとめ、切り込みを防ぐために最上部に手槍を並べたものだそうです。
    ペンギン

  16. >14
    朝鮮出兵時の旗艦「日本丸」が「信長の鉄船」だったと、始めて知りました。「鉄船」の装備は大砲三門に無数の精巧な長銃(宣教師オルガンチノ)。日本丸の朝鮮での戦闘は「朝鮮の役」(旧参謀本部編纂・徳間文庫)に記載されています。
    100隻以上の敵船との交戦で、その様子は、「棒火矢が飛んでくれば用意の綱で海中にはたき落とすので、船には当たらない。近くから半弓で射ても、三重の幕の二重は通るが、最後の一枚で受け止めてしまう、近距離まで迫って石火矢(火砲)を射放したときは、日本丸の中柵三尺四方を打ち破ったが、かねて用意の大工たちに言いつけ、即座に修理して海水をとめ、日本丸は動揺すらしなかった。」(志摩軍記)
    当時事実上の不沈艦?だったようです。
    「鉄船」については「信長の戦国軍事学」(洋泉社・2千円)にも詳しい。火砲に
    ついての参考書は「鉄砲伝来」(中公新書)が良いと思います。
    ISHI

  17. 「この船は、信長が伊勢で建造させた日本最大かつ華麗なもの、王国(ポルトガル)の船に似たり。日本に於いて此の如き物を造ることに驚きたり」(オルガンチノ)
    当時の軍船は大きい順に、安宅船・関船・小早で「鉄船」はつまり大安宅船。朝鮮では板屋船・挟船・鮑作船。明国では沙船・蒼船・号船ほか多種。安宅と板屋船の大きさは同じくらいで、通常大砲一門搭載。
    >15の朝鮮の軍船は「亀船」と呼ばれるもの。日本側は「めくら船」と呼び、大きさは板屋船と同程度。>16の海戦では敵船約100隻の内3隻が亀船でした。
    ISHI


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