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738 大戦中の給油艦「剣埼」は、進水後に潜水母艦 → 軽空母「祥鳳」と改造されていきましたが、それぞれどの程度まで工事が進んだ段階で改造されたのでしょうか??給油艦はやはり艦尾に缶室を設計すると思うのですが、「祥鳳」として竣工したときはどうだったんでしょう??
また、潜水母艦としての設計は最期まで完成させたのでしょうか??それともどーせ軽空母に改造するから、名目上だけだったのでしょうか??
きゃび

  1. どなたもお答えになっていらっしゃらないようですので、書き込みさせていただきます。ふりげいと、と申します。皆様今後とも宜しくお願いします。

    # 工事進捗状況。
    給油艦から潜水母艦への改造は、「世界の艦船増刊 日本海軍特務艦船史」に、
    「10年6月に進水後〜13年9月に潜水母艦への改造を決定するまで一次工事を中断し」
    との記述があり、給油艦として進水した状態で工事は中断されていたようです。
    潜水母艦としては14年1月に竣工して潜水戦隊旗艦兼母艦となっていますので、
    潜水母艦としての工事は完成したものと思われます。

    # 機関室。
    剱崎はただの給油艦ではないためか、船体中央部の機械室に
    大型ディーゼル主機を搭載しておりました。
    空母祥鳳に改造の際、不調のディーゼル主機を
    陽炎型同様のタービン主機械に換装しましたが、
    この缶室・機械室も船体中央部にあります。

    # 潜水母艦としての設計。
    短期間とは言え潜水母艦として竣工し役務に就いてますから、
    常識的には潜水母艦としての設計は完了していたのではないでしょうか。

    ふりげいと

  2. ふりげいと さん。ご回答ありがとうございます。

    が潜水母艦時代の「剣埼」は、やはり「大鯨」と準同型艦のようだったのでしょうか。
    きゃび

  3. 準同型艦と考えてかまわないと思います。逆から考えれば、同型の軽空母の船体を
    使用した潜水母艦と給油艦のファミリー化の変形なわけですから、主要寸法はほぼ同じ
    な訳ですし、格納庫、エレベーターに機関室が完成している状態ではそこまで性能差
    はつかないと思います。
    ペンギン

  4. 「昭和造船史 第1巻」P490に、「上部に給油艦として必要な装置を
    設ける以外は大鯨と同一計画で進む方針で〜」とありまして、本来は
    大鯨と剣埼は給油設備以外を同型とする計画であったようです。
    ただ、剣崎は起工前に生起した友鶴事件を受け、復元性確保の目的で
    長さを減じて吃水を増した船型とされたため、両艦の船型は異なったもの
    とされました。
    その他にも大鯨と剣埼の間では主機械や公試速力、外観などに相違が
    見られますが細かいことであり、ほぼ同型の艦型と言っても宜しい
    のではないでしょうか。

    ふりげいと


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