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初期のド級艦が舷側主砲塔を多用してるのは、 サイズ上の制限が大きいからというのが主な理由ではと推測してますが、 他にはどんな理由が考えられますか? 勝井 |
サイズを大きく取れるから、舷側砲塔などという手段が取れるのであって、米国のミシガン級に見られるように、サイズを制限されれば、必然的に首尾線上に背負式砲塔を置く配置になるはずです。
要するに、首尾線方向の火力を大きくしたいからです。
ドレッドノートの場合、首尾線方向への6門指向が要求にあります。
時代が下ったクールベ級が舷側砲塔を採用しているのも、首尾線方向の火力を伝統的に重視するフランス海軍の要求からです。
ドイツのヴェストファーレン級とヘルゴラント級は、もしかすると両舷同時戦まで考慮していたのかもしれません。
オライオン級になると左右方向への火力を最優先にしたとも言われますが、おそらくサイズ上の制限から背負式砲塔にし、舷側砲塔を置くとサイズ的に防禦計画が成立しないので砲塔を首尾線上に集めたものと思われます。
英海軍の戦艦主砲塔には砲台長の展望塔があり、これが爆風の影響をもろにかぶるので、第一次大戦中に廃止されるまではオライオン級、キング・ジョージ5世級(旧)、アイアン・デューク級、エジンコート、エリン、ライオン級、タイガーの背負式砲塔の上部にある砲塔は、首尾線方向への発砲を禁止されていました。
いくら左右方向の火力重視とはいっても、首尾線砲火が2門だけというのは問題です。そんな要求を艦隊側が出すとは考えにくく、おそらく、戦艦のサイズが先にあって、しかし343ミリ砲を積むにはやむをえない、それから現実に対応するというかたちで左右方向への砲撃重視という戦術が生まれてきたのではないでしょうか?
まなかじ
イギリスで全長130〜140m級から160mに、
全幅は24mから25mでほぼ変わらず。
やはりサイズの制限はあったのでは?
ドックを比較的容易な長さ方向への拡張を行った上で建造を開始したのではと思います。
ドイツでは全長127m弱から146mに、
全幅で22mから27mへとこっちはかなり艦形が拡大してますね。
しかも第2陣ヘルゴラント級は全長167m、全幅28.5mで
さらに一回り拡大してます。
どうもドイツはド級艦時代突入をイギリスに追いつく好機ととらえ、
ドックの拡大を含む大拡張に乗り出したようです。
勝井
上側の主砲の爆風が下側の砲塔に与える影響を無視できなかったため、あのよう
な配置になったと聞いております。
アメリカはミシガン以前に2階建て砲塔の採用により、その運用結果を見て
採用できたと聞いております。
参考資料 世界の艦船「近代戦艦史」等
ヒュー
データの分析が甘すぎです。四股が足りません。
その通り、サイズの制限はあります。
当時の英国の軍港のドックの幅から、25メートルがいちおうの限度として存在します。幅25メートル以上の艦が入れるドックもすでにありましたが、どこの港でも整備ができることを要求されていたので、このころまでの建造艦は幅25メートル以内に押さえられています。
しかし、それと、ド級艦の舷側砲塔の配置とは何の関係もありません。
むしろ、準ド級艦の方にこそ、設計の制約が見られます。
準ド級艦は、中間砲のためのヴァイタルパートを長く取らなければならないので、片舷に砲塔1基、副砲全廃のド級艦よりも防禦計画ははるかに難しいのです。
キング・エドワード7世級やロード・ネルソン級が24メートル強の幅で収まっているのは、水中防禦が比較的甘いことと、機関が2軸であることが大きいのです。
しかも、ロード・ネルソン級では、舷側の中央砲塔を連装にしたかったのに、幅が足りなくて単装で忍んでいます。
ド級艦になって、逆に設計は楽になったはずです。
だいいち、大きさが一回り小さいロード・ネルソン級と排水量がほとんど変わらないのですよ?
ドレッドノートが長さを伸ばしているのは、速力21ノットを要求されたためです。25メートルの幅に対し、23000馬力で21ノットを発揮するには全長160メートルの長/幅比が必要とされたからです。
勝井山に逆に質問なのですが、舷側砲塔を採用すると、どうしてサイズを小さくまとめられるのでしょうか?
わたしには、舷側砲塔を採用すると、そのぶん艦が大型化してしまうような気がするのですが?
まなかじ
イギリスだってロシアだってフランスだって日本だって、13000トンクラスの戦艦の大きさはそのくらいじゃないですか?
まなかじ
怪人37型
舷側砲塔はまなかじさんが仰る通り首尾線砲火の増大が目的で、
片舷砲力を重視し始めたネプチューン級でも舷側砲塔を置き、
反対舷にも向けられるように配置して首尾線砲力6門を維持しています。
もっとも首尾線砲力も構造物への影響から内側の砲は発射できず事実上4門、
しかも反対舷発射の際に船体の強度が不足した為に補強が必要とイマイチな成果だった為に
オライオン級からは全主砲を首尾線に配置になったようです。
あっさり背負い式に変更しなかったのは重心上昇を嫌ったのかもしれません。
米海軍の背負い式砲塔も重心対策で他の備砲を低い位置に搭載した為に
一次大戦で英艦隊と北海で行動を共にした際に波の影響が非常に大きかったようで、
オライオン級ですら横揺れ防止の為にビルジキールを装着する羽目に陥っています。
ドイツの弩級艦に関してはナッソーがコンパクトに出来ているだけで排水量は
ドレッドノートと同等、次のヘルゴランド級は竣工時期で比べると
コロッサス、オライオン級とほぼ同時期で大きさも大差ありませんので、
サイズが行き成り大きくなってもそう不思議じゃないと思います。
ルージュ
運河の完成当初は通過する艦船の最大限度は15000トンと見積もられ、工廠や造船所の設備から軍港の深さまで、それに応じて造られていました。
まなかじ
ドレッドノートでは、空っぽにすれば通れるという喫水になりましたが、究極の解決として、イギリスは運河を掘り下げてしまったのです。=1905年
ロード・ネルソン級の資料は乏しいのですが、機関配置を見るとどこにも中間砲用の弾薬庫がありません。わずかにある断面図では、これが舷側の石炭庫の中に埋め込まれるように設けられています。つまり、弾薬庫を並べて機関部を防御しているわけです!?
ド級艦になって、設計が楽になったというのは事実でしょう。他の苦労はあったでしょうが、少なくとも配置が単純になったのは間違いありません。ドレッドノートの両舷砲塔の弾薬庫は、ボイラー室を分断して設けられており、舷側に近いために十分な水雷防御ができていないのですが、これも中心線配置への後押しになったと思います。
志郎
結局ナッソー級の建造時にキール運河と軍港の浚渫を同時進行で進めて
対処したそうですね。
ルージュ