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@日本海軍の光学照準機は他国の海軍より優れていたのでしょうか? A米国海軍の射撃管制装置はフネの揺れまで計算に入れていたそうですが帝国海軍は射手のカンでそれを補っていたそうですが本当でしょうか? ロックマン |
2.については、こういう事があるから大砲は、毎分何発といった射撃速度を維持できないし、なかなか当たらないんだと考えておけば良いでしょう。命中率については理屈よりも残された記録から何故それが達成できたかを検討したほうが為になります。
BUN
ンズの自国生産も難儀だった)うえに、関東大震災で測距儀を多数焼失したよう
なので、八八艦隊用の測距儀は大したものは造れなかったと想像できます。
それでも、個人の素質と訓練によってそれなりの精度は確保していた様ですが。
あと、米海軍の射撃盤に関しては、以前ここで議論があったような・・・
tackow
各戦艦の測距儀基線長
金剛ー長門 合致式10メートル 同世代の米戦艦 6ー8メートル
条約明け以降の各戦艦
大和 ステレオ式 15メートル アイオワ 9メートル
ビスマルク 1.5メートル KGV 4.7メートル
日本戦艦は遠距離射撃を重視し、世界で最も大型で高精度の測距儀を搭載していました
艦の動揺は船体中央に位置する射撃用コンピュータ(射撃盤)に入力され、更には射距離・方位・自速・的速・気温・湿度・緯度・その他を計算し、弾道を計算しこれにより主砲の方位・仰角を求める。
これは特定の戦艦のことではなく、近代戦艦すべての事です。射手・砲手のカンで
撃っていたのは木造帆船・先込め青銅砲時代の話です。
ISHI
ISHI
大和やアイオワの測距儀には、ジャイロで動揺を補正する機能があります。これにより、艦の揺れに係わらず敵艦を補足し続けることができます。
主砲は敵艦を指向したまま静止。外部から見れば船体の揺れに合わせて動いているように見えますが、砲身は安定して静止状態を維持しています。
ですから艦の動揺に合わせて発射速度が制限されるわけではなく、必要ならいつでも最大発射速度で撃つことができます。発射速度の制限は、主に射法上の問題です。
ISHI
光学照準機は左右のレンズに写った映像の差から距離を割り出すので、左右のレンズの距離が長いほうが誤差は小さくなります。しかしレンズの距離=照準機の性能ではないのでは?あくまで指数だと思います。
ロックマン
ジャイロにより、射撃指揮装置(測距儀ではないですよね?)が安定化されて
いたとしても、射撃盤のデータの通りに各砲が目標に照準をつけるのは同時には
いかないでしょうし、弾薬の装填の問題(機械的に各砲が同時に装填を完了でき
ないでしょう)等あるでしょうから「必要ならいつでも最大発射速度で撃つ」の
は事実上不可能だと思います。
我が海軍での演習時のデータですが、斉射数が多くなるに従って発射速度の低
下が見られます。これには水圧機の能力なども関係しているようですけれども。
「射法上の制限」とはどの様な制限かは判りませんが、少なくとも試射が終了
した後は最大速度で射撃するのは(射撃の諸元が変わらない限り)当然だと思う
のですが?
>6
光学機器は設計や工作精度、反射面の研磨精度がその性能を大きく左右します
から(口径が2倍程度違う望遠鏡でも、今挙げた理由で性能が逆転する例もあり
ます)。残念ながら、戦前の我が国の工学技術はドイツ等の光学先進国の域に達
していなかったと見るべきだと思います。
ただ、米国のボシュロム社の測距儀も、大正末期の時点では「こんなものかと
失望した」(黛氏)程度の出来だったそうですから、米国に関しては以外と大し
たコトはなかったのかも知れません。
tackow
>戦前の我が国の工学技術→光学技術
ですね。まぁ、間違いじゃないんでしょうけど、、
tackow
思うに戦争末期の各種粗製濫造兵器の悪い印象により、当時の日本製品の品質を必用以上に低く評価しすぎてるのではないでしょうか?
欧米先進国に対して産業革命のスタートが遅れ、また苦手な分野があるのは事実です。しかしスタートの遅れは戦後の自動車・電子産業なども同じでしょう。
当時の日本の大砲・魚雷・光学機器などの精度では、世界トップクラスでした。
大砲については、戦後米軍から陸自へ供与された155mm重砲の余りの砲撃精度の悪さに、96式15cm重砲を知っている元帝国陸軍の自衛隊員を驚かせたそうです。魚雷についても米軍魚雷は、国産魚雷に比べて粗雑な物でした。直進しない・不発などがざらで、改善されたのは昭和19年頃になってからです。改善といっても確実に動作するようになっただけで、性能は日本の物に遠く及びませんでした。
ISHI
射撃盤のデータは、リアルタイムで各砲塔へ伝えられ、それにより主砲の仰角・方位が設定されます。甲板に立てば100t以上の砲身が艦の揺れに会わせて休まずゆっくり上下している様子を見ることができます。海面を基準に見れば艦が揺れても砲身は一定の仰角を維持し常に敵艦を指向し続けています。
主砲9門艦のある砲で装填が遅れた場合は、射手が引き金を引いてもその砲のみ砲弾が発射されません。その場合出弾率は8/9=0.888%となります。発射速度は変わりません。通常出弾率は100%近い数字になります。
日本海軍で戦艦の主砲(36cm砲)を最大発射速度で弾庫の砲弾のありったけを撃つ実験を行ったことがあります。その結果搭載弾数割・数百発撃った時点で急激に発射速度が落ちることが判明しました。原因は弾火薬庫から砲塔への砲弾輸送が間に合わなくなるからです。対策は一旦敵から離れ弾火薬庫の奥の方から砲塔の下の弾庫へ砲弾を運び整理して、再び交戦することです。でもこれは設問には直接には関係ありません。
海戦中常に最大発射速度で撃つわけではありません。一つは試射ですが、ほかに遠距離射撃では、砲弾を節約するためにあえて発射速度を落とす場合があります。例えばアッツ沖海戦などではそうしています。逆に夜戦など近距離では最大発射速度で撃ちます。
ISHI
けい
の「精度」は米海軍のそれよりも上であると思われます。
それは「砲自体の精度」という単純なものではなく、砲機の調整やら射方な
どハードウェアとソフトウェアを総合して発揮されたものです。
特に、米軍の場合には国力が我が国とは段違いに大きく、そのため「物量」
を背景とした戦術を採用出来るでしょうし。操作する人間の能力による「精度」
を当てにしていなかった節もありますから、その「人的」な要素を重要視した
我が軍の砲とは「精度」が異なって当然と思います。
測距儀の精度に関しては、先にも述べましたが測距儀の基線長だけではなく
光学製品としての精度が重要であるということです。
そして、曲がりなりにも国産品を製造出来るようになって10年足らず、ツ
アイスの倒立分像立体視式の測距儀をサンプル輸入したのが1936年ですか
らドイツ等の光学先進国には追いついていなかったのは当然でしょう。
測距儀のジャイロは大和型には装備されていました。これは私の勘違いです。
ただ、このジャイロは敵艦を補足し易くするためのものであって、砲撃に必要な
緒元として用いるものではありません。
従って、主砲の動揺と測距儀のジャイロとは直接の関係はありません。この
動揺は、我が海軍においては人力で相殺していたのはご存じかと思います。
戦闘時の射撃速度ですが、私の書いた「発射速度」はあくまでも「実際に発
揮可能」な発射速度であって、カタログ上の「発射速度」ではありません。
ISHIさんが御指摘の「最大発射速度で弾庫の砲弾のありったけを撃つ実験」
は何時のものなのか判断出来ませんが、手許にある「第一、第三戦隊所属戦艦
主砲塔弾薬給弾実験(昭和14年度実施)」の所見には「主力艦主砲の給弾薬
は定数の全部にわたり戦闘開始当初の供給速度を維持するを理想とするも実際
問題として供給速度が漸次減衰することは如何ともし難き〜」となっており、
ある程度発射速度が低下するのはやむを得ない状況であったようです。
また、薬莢を用いている砲ならばともかくとして、薬嚢を用いている砲では
その装填を機械的に全く同じ時間に行うのは不可能ですし危険でもあります。
さらに、方位盤射撃では各砲台の照準を同時に合致する事はなかなか難しい
ですから「カタログデータ」での最大発射速度で射撃を継続して行うのは事実
上不可能です。
その様な意味では各砲が勝手に撃つ独立打ち方が最も「カタログデータ」で
の発射速度に近い数字で発射できます。
ちなみに、大口径砲の場合、周到に準備された演習時での一門当たりの発射
速度はせいぜい1発/分程度でしたが、これですらカタログ値よりもかなり小
さいですよね。
それと、出弾率の「ミス」は装填ミスよりも照準ミスや不発が多いのではあ
りませんか?各艦でのミスの詳細も資料はあるのですが一寸探すのが面倒なん
で勘弁してください。
各海戦での発射速度ですが、我が海軍の8インチ砲だと、昼間でも夜戦の場
合でもそれ程の違いは見あたりません。一門当たりで、スラバヤ沖が1.1発
/分、第一次ソロモンで1.4発/分、第三次ソロモン(2日目)で0.77
発/分。という具合です。
戦前の砲術士官の教科書である「砲戦術講義」という本でも夜戦だから発射
速度をどうこうしろ、とは記述されていません。ただ、咄嗟の場合に砲戦力を
最大限に発揮せよ。とはありますが。
>質問者
「射手のカン」ですけど、我が海軍の資料を見たところ「方位盤照準発射の
鑑査すべき事項」(射手の鑑査ですね)として
1、教練に対する熱意
2、耐認にして果断たるや
3、勘の鋭鈍
というのがあったので、「勘」もそれなりに必要であった様です。ちなみに砲側
の射手も同様だそうです。
tackow
「供給速度を維持できない」とは弾火薬庫から砲塔への砲弾輸送の遅れの事で私の説明と同じです。前回の説明で不正確な点が有りました。正しくは「砲弾の弾火薬庫からの供給の遅れにより、発射速度を落とさざるを得ない」とすべきでした。射手が引き金を引いても、砲弾が供給されなくては、一発も発射されませんから。独立射法でも斉射でも砲弾の供給速度は同じです。ですから斉射でも独立射法でも同じように遅れます。
砲弾の装填は各砲同時に終わる必用はなく、先に終了した砲では待っていれば良いのです。ある砲でミスにより照準が合致しない場合は、その砲のみ砲弾は発射されません。不発や故障でも同じです。出弾率が下がりますが発射速度は変わりません。
KGV級などでは、砲戦時に砲の故障続発で、射手が引き金を引いても主砲10門中1発しか発射されなかったこともあります。しかしそれでも斉射です。特定の戦艦の事はともかく、出弾率は何の問題もなければ通常100%近くになります。
戦術教科書はそんな細かな事までは記載しません。それに常識だからです。最大発射速度は必用なときに出せればよく、海戦全体の平均値ではありません。また教科書的に決まっている訳ではありません。
以上の話は、設問の「船の揺れ」の影響とは何の関係も有りません。必用以上に煩雑になりますから、ほどほどにしましょう。
「測距儀とジャイロ」の話ですが、2回繰り返したのは、7.で混同があったからです。方位盤の話は承知しています。「では最初に測距儀とジャイロの話をしたのは蛇足か?」との疑問をもたれると思います。
設問の「船の揺れと射手のカン」の元の話を私は知っているので付け加えたのです。某軍事評論家の著書からです。
つづく
ISHI
測距儀の精度は「はじめに結論ありき」では無く。私としては様々な状況証拠
から、どうしてもその様に結論を(現時点では)出さざるを得ないという事をご
理解頂けたら、と思います。
実は、私も以前は「我が海軍の測距儀は極めて高精度」と信じて疑わなかった
のですが、調べるとどうしてもそうは思えなくなっていった。というのが本当の
ところであります。
以前覗いたことがある、対空双眼鏡などは結構いい見え味だったんですけど・・
誤解されると困るのですが、「精度が悪い(比較問題ですが)」測距儀でも相
応の測距精度を維持する事は可能ですし、それ以上に人的な問題で測距精度は左
右されますから「世界最高」の精度ではなくとも実際的には問題は生じなかった
と考えられます。
以下、細かい事に関しては、実際に用いていた各種の教範あるいは関係者など
のお話を基に私なりに理解して書き込んだのですが。一般的とはいえない事柄を
一般的とはいえない資料を基にして議論するのも、指摘されたとおりここでは複
雑に過ぎました。お詫びします。
ここは結論を出す場所でもなく、また出す必要も無いと思うのでこれ以上は続
ける必要も無いと思います。なにせ、60年も前のハナシですから残された資料
も少ないですし、その内容も食い違う可能性もあるでしょうから、当然の事なが
ら各人の主張に隔たりがあって当然だと思います。
tackow
「動揺する船体が水平になった瞬間を見計らって、名人の特務士官がヤマカンで撃つ」
「46cm砲などという、浸水で傾けばその方向へ指向できないような巨砲に頼る日本海軍」
これは某軍事評論家の著書からですが、記憶を頼りにしたものなので正確な引用では有りません。
著者は「砲や照準機が固定されている」と考えています。それから浸水で大きく傾けば大和に限らずどの戦艦も撃てない事を知りません。射撃盤などのデータが狂うし、楊弾も停止します。水平を保つために各戦艦とも注排水機構があります。
設問と1.の方には、直接読んだか又聞きかは別として、この著書の影響が見られます。こう変わった誤解はそう有りません。「砲・照準機固定」と考えるから、艦の動揺・振幅に依って射撃速度が左右されると誤解するのです。それは帆船時代の話です。
そこでまず視覚的にイメージしやすい様に、測距儀の話や外から見た砲身の様子を説明しました。また射撃盤の理屈を簡単に説明しました。
方位盤の話が11.12.で出されてますが、この時点で設問2.に答えた事になるのです。当人にその自覚が無いだけです。
12.の「射手の鑑査」はカンつながりと言っても、全然関係有りません。そんなレベルの話ではなく、元々はもっと初歩的な誤解なのです。
測距儀の話ですが第一次大戦で、英巡戦が砲戦で敗れ爆沈したことがあります。原因は防御力などの他に、測距儀の精度がドイツに対し劣るためと判明しています。従来英海軍では戦艦の交戦距離を8000m程度としていた所、ドイツ海軍は大型測距儀を搭載しその倍の15000m程度の距離で砲戦を行い有効弾を与えて来ました。
日本海軍も英海軍と同程度の交戦距離を想定していました。当時の新鋭巡戦金剛は英国製でドイツと闘えば同じくらい厳しい結果になると予想されます。そこで高精度の各種光学機器の開発と遠距離射撃の技術向上に努めてきたのです。
人的要因は重要ですが限界があります。機材の能力以上は発揮できないし、錬度同等なら性能差がそのまま反映されます。ステレオ式(立体視式)測距儀は合致式に比べ1.6倍の性能が有ります。ですからビスマルクや大和の測距儀は合致式に換算すれば、それぞれ基線長15m・20m以上に相当します。大和は射距離30000mで長門の20000mの測距精度と同等です。
測距儀などの機材だけでなく、砲術・戦術なども調べられると色々おもしろいと思います。
ISHI
BUN
>設問と1.の方には、直接読んだか又聞きかは別として、この著書の影響が見られ>ます。こう変わった誤解はそう有りません。
ISHIさんが直接お聞きしたのならともかくとして、「こう変わった誤解」と
憶測で書かれるのはどうかと思いますが。いかがでしょう?
少し気になったのですが、一次大戦で積極的に遠距離射撃を実施したのは独海軍
ではなく英海軍です。ちなみに
時期 場所 戦闘開始距離
1914年12月 フォークランド 15000m
1915年 1月 ドッガーバンク 20000m
で、いずれも英軍が先に射撃を開始しています。
#各数値はISHIさんがお持ちの資料とは数値が若干異なるかもしれません
#が、現実での数値とそうかけ離れてはいないと思います。
ジュトランド海戦では、両軍の艦船で最も遠距離で射撃を開始したのは
英海軍 ライオン 20100m
独海軍 ザイドリッツ 17500m
であり、その他の艦での試射の距離も概ね英艦の方が遠距離から開始していま
す。
また、以前にも書いたのですが、敵艦砲塔へ与えた命中弾は16対17で英国
側が多くなっていますし、命中弾数は決して大差があるわけではありません。
従って、「英巡戦が砲戦で敗れ爆沈した」のは直接・間接防御力の脆弱さが最
大の原因でしょう。
大和型に搭載されていた測距儀は、一台につき合致式2組とステレオ式1組で
はないですか?
ステレオ式は確かに精度面は有利ですが、従来型の合致式も併載している所を
見れば(少なくとも大和型の建造時点での我が国は)全幅の信頼を置いていると
も思えません。構造的にはステレオ式2組、というのも可能でしょうから。
人的要因とは訓練や資源(例えば網膜細胞の幅までその要素にしていた様です)
の総合です。当たり前の話しですが、兵器は扱う人間によってその能力をどの程
度発揮出来るかどうかが決定されます。その意味で、量的に劣る我が海軍は練度
面で優越しようと考えたのではないですか?
練度が同等、というのは(およそ全ての兵器を比較する場合には)非現実的な
前提だと思います。
>1 で書かれている通り、
>理屈よりも残された記録から何故それが達成できたかを検討したほうが為になります。
ということです。
tackow
「従来砲戦距離8000mを想定」とは日英とも開戦前のことを表現したつもりでした。実弾射撃訓練などでの距離です。開戦後双方とも可能な限り遠距離から撃つようになり戦前の予想以上の距離で戦闘になった訳です。38cm砲搭載の英巡戦が30cm砲弾で爆沈したのは防御力などが最大の問題と思いますが、測距儀の話なのでそれを中心にしました。金剛が参戦すれば同じようなの結果になると言ったのは、測距儀と共に防御力の薄弱のことも考えてです。
試射などで新型の英巡戦が旧式のドイツ戦艦より手間取り、挟叉弾を与えるのが遅れたのは、測距儀の要因が大きいと思います。それに砲が30cmと38cmでは機材や練度その他の条件が同じなら、38cmの砲の方が命中率が高くなるはずです。落角が浅くなると有効帯が大きくなるし、大口径重量弾の方が外的阻害要因の割合が小さくなり弾道特性が良好になるからです。
大和の場合本来はステレオ式2組の方が良いのですが、専門的訓練と素質が必要なステレオ式だけでなく、操作が簡単で確実な合致式と組にされています。練度は高い方がよいにしても、たとえば長門が大和に勝てるでしょうか?そういう意味を込めて比較てみました。無論砲力や防御力は別です。
「練度次第で勝てる」とされるならあまりに精神主義的、個々の兵士に過大な負担をかけすぎになると思います。
ISHI
それはさておき、残されている実射の記録は艦の装備の多少の新旧や、口径の少々の差で説明できるようなものではありません。「訓練された艦」と「何らかの事情で不調な艦」の差の方がはるかに大きいのです。また測距は主装備の測距儀以外にもあらゆる手段を用いて行い、しかも実際の射撃時には理論値とは程遠い結果を生む傾向にあり、更に実戦での混乱が加わることもあり、最終的には砲戦は各艦の砲術科の要員の練度と表現すべき有機的な総合条件に大きく依存しています。
ですから練度を問題にすることは別に「精神主義」ではないのです。砲戦について理論で語ろうとすればする程に現実から遠のいてしまうのは「理論上、そうである」ことと、運用を加味し様々な要因が絡む実戦での結果を混同してしまうところから来るのでしょう。知っておくのは大変結構なことだと思いますが、それで全てを判断できる訳ではありません。
BUN
ここから東江戸川工廠経由で行かれる海防史料研究所で、無謀な連載書き込みをやっております、志郎です。
本10日を持ちまして現連載を終了したのですが、次の掲載としてジュットランド海戦での巡洋戦艦「クイーン・メリー」爆沈を取り上げる予定です。
主に1996年の Warship 誌の記事を翻訳したものですので、お読みになった方もいらっしゃるかと思いますが、生存者の証言やドイツ軍側を含む周囲の人々の報告をまとめたものですから、当時の砲塔運用に関わる記述が多く出てまいります。
こちらでの議論の参考になるとはとても言えませんが、なにかしか役に立つかもしれません。まずはお知らせまで。
志郎
全然参考にならないと思いますが、僕は米独立戦争を背景にした海洋冒険小説で”(艦が)波底に入ったら
撃て!”というセリフを読んだことがあります。
矮鶏
一つの要因を比較するには「他の条件を全て同じする」と仮定して考えています。「錬度同等」や「大和・長門が攻防力同等での測距儀の比較」など現実にはありえない設定で考えたりしています。多分同一のルールで競うスポーツ的な考えなのでしょう。日米の乗員の錬度を比較する場合などは、お互いにコピーしたような戦艦で戦えばどうか?などと考えたりもします。
全体像から見つめる方法も良いと思います。一つ一つの要因をつぶしていっても、それで事実に少しずつ近づいてゆくのではないかと思っています。
ISHI
海面上の煙や靄などで、測距誤差が大きくなる場合は交戦相手も同じ条件になります。少し曖昧な所があったので追加しました。
ISHI
兵器として要求される性能を把握する試験ではありません。
兵器として実際に「予定の性能」を発揮できるかどうかは、実際にそれ以降の
訓練や運用を経てからではないと何ともいえません。
従って、公試をクリアしても、実際に運用して当初期待された性能を発揮しえ
なかった例もあるわけです。
大和の測距儀の場合。例えば良く訓練、調整された10m測距儀と比べてその
精度はどうだったのか?ということも検証する必要があると思うのですが、実際、
残された公式な資料を見たことがないので何とも言えないところです。
tackow
ジューコフ元帥