634 |
旧日本海軍の航空戦艦「伊勢」と「日向」には 飛行甲板がありますが実際に戦闘機や攻撃機、 艦爆などを搭載する予定はあったのですか? トロ |
彗星の改造型が当初予定に入ってました。
しかしすぐに水上機専用に改定されましたが。
勝井
空母のことを調べるのに船の本の記憶ばかりで書いちゃ
誤解を招くばかりですよ。
BUN
taka
実際の飛行機の運用訓練は彗星と瑞雲で行われており
搭載航空隊である634空はレイテ海戦前の9月の時点で
彗星でも瑞雲でもなく多数の爆戦を装備し、訓練を開始しています。
世の中、そう単純ではないんです。
BUN
そもそも、伊勢型の搭載機は634空の定数にも反映されているように彗星11機、瑞雲11機に落ち着いてその構成で訓練が開始され、その後台湾沖航空戦以降の比島戦に634空が投入され消耗してしまった為に伊勢、日向は飛行機を搭載しないまま出撃したという解説が最新の参考出版物である「歴史群像 伊勢型戦艦」にも書かれていますが、当の634空は、どうも8月後半には多数の零戦を装備して訓練を実施していた模様です。
これは空技廠に向けて出された改修要望事項の中に9月4日付けで、634空から零戦52型のエンジン不調の為に18機以上が飛行不能という報告があることからもわかります。
ということで、634空の伊勢型への搭載は少なくともあ号作戦終了後には諦められていたのではないか、との仮説を立てているのですが、如何でしょうか?
また、ちゃんと寸法を取った訳ではないのですが、伊勢型戦艦は勝井山の言うように彗星から全て機種改変(実際には634空は改変していません)して瑞雲を22機を搭載することが出来たのでしょうか?私は彗星11機、瑞雲11機の構成の中に答えがあるような気がします。すなわち露天搭載の11機を除き、伊勢型の格納庫には全高4.791mもの瑞雲を台車に搭載して格納することは出来なかったのではないでしょうか?「歴史群像」には瑞雲を格納庫に搭載した図面が折込で挿入されていますが、どうも疑わしいと思います。
詳しく検証されている方の御意見は如何でしょう。
BUN
当初、伊勢型2隻で編成された4航戦ですが、その後に準鷹と竜鳳が編入
されたのではなかったですか??
で、零戦も643空に配属されて岩国で訓練していたと記憶するのですが・・
もしかしたら、準鷹以下の書類上の編入は10月1日だったかも知れませ
んが・・
帰ったら調べます、、
tackow
9月4日に「18機以上飛行不能」になる程に零戦を装備したとすれば、
その装備は当然8月前半には開始されていなければならず、
その為には7月中にその決定が為されているのでは?との考えから
そう推測したのですが、601空、653空等の再建のペースに比べても
随分と早いような気がしたのです。
それよりもtackowさん、伊勢の格納庫に瑞雲は入るんですか?
BUN
BUN
戦167は634空だったのか!
でもなあ、妙に充実してるんですよね、634空は。
BUN
整備兵だけ載せてくるバカがどこにある!」という乗組員の言葉が載ってますのと、確か
比島方面作戦に参加した瑞雲部隊は元来伊勢/日向搭載予定の部隊であった、と言うのを読んだ
記憶がありますので、一応瑞雲を搭載するつもりはあったんでは無いかと思うのですが…。
大塚好古
確かに準鷹は7月には4航戦に編入されてるのですね。そいえば竜鳳が確か
遅かったとなにかで読んだんですよ。なんだったかな・・・
でも、戦史叢書には8月の段階で竜鳳があるからな〜、勘違いかな。
伊勢は、、お任せします(^^;
tackow
例の「伊勢型戦艦」の図面には、エレベーターの横幅がセンターから6mと
なってますが、ということは総幅員は12mですか(図面の数値が正しいと
して)。
でも、瑞雲の全幅は12.8m(世界の傑作機など)。瑞雲って翼端が折り
畳めたのですかね?
伊勢型の格納庫の高さは6mとエセックス級並みにあるらしいので、高さは
大丈夫かもしれませんが・・・
tackow
写真に見える飛行甲板上の飛行機の大きさから類推するに、瑞雲ぐらいは入りそうな気がするのですが…。
大塚好古
大塚好古
る雰囲気なんですけどねぇ、、うがちすぎかな。
tackow
エレベータに充分収まりますね。数値は日本海軍正式機大鑑から引用しました。
大塚好古
tackow
BUN
BUN
丸スペの文章、頭から読むとどこか変な気がするんですが・・・・。
BUN