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614 秋月型の生産が途中で打ち切られたのはなぜでしょうか?

hk

  1. 出番がなくなったから、ということでしょう。
    空母群が建造中止になったのと同じことです。
    勝井

  2. 製造の厄介さ、コストの高さも問題だったんではないでしょうか?
    乙型は排水量が軽巡並、武装は特別の長10cm砲、大戦後期の
    切迫した状況ではこんな高い駆逐艦の作るなら丁型のように安く
    短期間に大量生産ができるほうに重点が移行されたためではない
    でしょうか。
    taka

  3. 計画の半分が建造取りやめとはいえ、最終艦の竣工が昭和20年の4月ですから
    「打ち切り」ってのもなんですが。やはり、色々な意味で造船所が忙しくなった
    せいではないでしょうか?あと、資材の不足もあると思います。
    tackow

  4. 乙型を中止して丁型に移行したという事実は無いのではありませんか?
    丁型に切り換えが行われたのは甲型の建造計画でしょう。
    乙型は、特攻兵器に全生産力が注がれる時期まで
    最後まで建造が続けられ、重視され続けたと言って良いのでは?
    BUN

  5. >4 そこまで深く考えて書いてませんでした。大戦末期なら一隻の乙型より二隻
      の丁型の方が便利だったろうと言う程度です。ちなみに甲型は何隻くらい
      丁型に代えられたんですか?
    taka

  6. 師匠、やはりある程度は丁型や海防艦に切り替えられたのではないでしょうか?
    最後まで重視され続けたというのなら、
    起工後の建造中止が満月ただ1隻というのはやはり少なすぎる感があります。
    勝井

  7. 後期の甲型はそもそもが丙型の戦時代替建造でしたが、
    その甲型でさえ18年度よりあっさり丁型に切替ったのに対して、
    乙型は大幅な簡略化等、様々な努力を払って17年度計画艦の
    完成に努めています。一番艦とは似ても似つかない最終艦の
    船体他を指して「最後まで重視された艦型」というのです。
    ちなみに建造期間の短い丁型も同時期に中止の方向にあるのですから
    さっさと今日の鉄砲を済ませてちゃんこの支度をしてください。
    BUN

  8. ああ、ちなみに18年度計画艦23隻は何処へ行ったんだ、というのは屁理屈の類ですよ。海軍は17年度計画をきちんと消化すべく最後の最後まで努力したのです。
    BUN


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