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また質問させていただきます。 あたらしく発売された学研の「妙高型巡洋艦」(実は愛読)では 大型の巡洋艦で排水量が10,000トンを越える妙高型ははじ めの計画では、軽巡洋艦としてまず計画が立てられたという記事 にはびっくりしました。 見解はだいたい納得できましたが、妙高という名前は重巡であっ て、ふつう、軽巡は川の名前が付けられるんじゃないの? ふみ |
建造は一等巡洋艦として行われた。
よって山名がつけられた。
そういうことじゃないでしょうか。
勝井
しょうか?
古鷹型も計画は当初軽巡洋艦でしたが、予算申請時には二番艦は重巡として予算が
取られたので艦名が山名(古鷹)になっています。
これに対し軽巡洋艦として予算を取った一番艦はそのまま川名(加古)を艦名に
していますから。
蛇足ながら古鷹型が予算措置上の二番艦名で呼ばれるようになったのは、加古の
建造時に事故が発生したため、就役が古鷹の方が早くなったためです。
大塚好古
当時平賀さんが「軽巡」て書く位
重巡、軽巡って言葉、一般に流布してたのでしょうか?
普通なら、一等、二等巡洋艦って類別ですから、
「二等巡洋艦云々」と表題につけそうなものですが。
勝井
BUN
勝井
いや実は前部4門のみ廃止したんだとか、
気になる点が他にも少々ありましたので。
勝井
そもそも軽巡洋艦(Light Cruiser)とは重巡洋艦と対応する(対になる)言葉(概念)ではなかったのですから。
(N)
(N)
加古が1番艦であり、古鷹が2番艦であるのは大塚さんの御指摘通りです、加
古型(あえてこう書きますが)は八八艦隊計画で建造されるべき艦だったので
すが、実際の建造は条約下で行われました。そのため、八八計画予算における
軽巡「加古」の予算を貰い建造されたのが加古であります。
加古の基本計画では常備排水量が7.100tであり、7.000t以上は一等巡洋艦
なのですが、基準排水量は6.700〜6.800tであり、加古はその境界線上にあっ
たので「加古」で通したが、実際には7.000tを超過する事が明白だったので、
2番艦以降は山の名前をつけた。となっております。で、福井静夫氏によれば
「改名すべきだった」との事であります。
妙高については、福井静夫氏の言葉を借りれば「造艦技術的には軽巡」であり。
また、基本計画が出来上がった順でいけば、古鷹→妙高→青葉という順ですの
で、Nさんの言う「一等「軽」巡洋艦」という表現は結構的を得ていると思わ
れます。命名についてはいうまでもないでしょう。
tackow
条約型巡洋艦というのはアリシューザの末裔なのです。
(N)
いや、そうなのですが。正確には「Nさんが指摘した」とでも書くべきでした。
>条約型巡洋艦というのはアリシューザの末裔なのです
に関しては「条約型巡洋艦」を一括りにするのは私的には抵抗がありますが、
確かにそう考えられるとも思います。
7番での発言された通り、言葉としての「軽巡洋艦」は後の「重巡洋艦」とは
異なるものでしたから、例の記事ではその辺の説明が手薄だったと思います。
tackow