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工作船は具体的にどんなことをやっているのでしょうか? やはり46時中動いている機関の整備などなのかな。 大戦中は25mm機銃でもつけていたのでしょうか 太 |
BUN
工廠のドックに入るほどではない軽作業の類は,ほとんど一手に引き受けていたのかもしれません.
勝井
BUN
こんな書き方をしていますが、工作艦の応急修理能力には馬鹿にできないものがあります。例えば工作艦関東は、日露戦争において、樺太の大泊にて大破着底していた露軽巡ノーウィック(後の鈴谷)の救難を行い、1915年、メキシコで擱座、大破着底した浅間を浮揚させたり、はては1924年、カムチャッカで遭難、沈没した新高の解体を行ったりと結構な活動をしています。
明石については、戦時中常に4、5隻に何らかの修理を行っていました。ラバウルで爆弾に大穴を開けられた最上や、被雷した大和(1発で弾薬庫などに4000トンも浸水して大騒ぎになったアレです。)の破口を塞ぐ応急修理をおこなったりもしています。
>25mm機銃でもつけていたのでしょうか
明石の能力ならば、機銃や旋回系の部品さえ送れば台座をこしらえて装備するくらいは可能かと思います。が、実際にやるとなると、忙しくてそれどころではなかったと思いますよ。
↑2、3
BUNさん、ほらじゃないですよ。明石の設備で連合艦隊の平時年間工数の約4割を消化できる見込みでした。この平時年間工数というのがどのような内容なのかはわかりませんが、やはり機関の整備などの、電装系も含めた部品交換や調整といった保守整備が中心であったと思います。明石乗員の回想では「あらゆる修理工事が可能であった」とのことです。
それと勝井さん。>ほとんど一手に ということはないでしょう。戦時ともなれば、無茶な運用、損傷艦の修理などで作業量は激増します。
新造工作艦は明石のみですし、朝日も17年5月に沈んでしまいましたが、特設工作艦があります。前述の関東も朝日も特設工作艦のような物ですから、かなりの能力が期待できるでしょう。特設工作艦は朝日の前に1隻、19年初頭に3隻、明石も破壊されてしまったトラック空襲でも1隻が沈められていますが、裏を返せばそれだけの需要があり、それだけの数が造られたということです。それに加えて各種潜水母艦や水上機母艦もかなりの工作能力を持っており、工作艦任務に就いています。
tomo
BUN
ともかくフォローサンクスです。
勝井
大塚好古
被雷の痕など、大きな破口に関しては仮に塞ぐだけの応急修理が精一杯でしょう。これだって本格的な修理のためにどこかの設備に移動する際には重要なことです。また、小艦艇の船体は薄っぺらな鋼板ですから、銃弾や弾片などによる小さな穴程度なら楽にふさげると思いますよ。
↑6
そうでしたか。ちょっと先走りしすぎたようですね。すいません。
tomo
ドック入りしてまたケーソンを引っこ抜き、新たに外板を造らなきゃならな
いんですね?
takukou
秋月は魚雷の命中で出来た8メートルほどの破孔を塞いでいるようです。
Ta
ドックが無いためケーソンをあててから一年以上実戦参加する羽目になった艦もありますが(汗)。
話は変わりますが、阿賀野の二一号電探装備工事も明石によってトラック在泊中に行われているんですね。
これは明石以下の工作艦が如何に戦自の修理改修工事において重要な役割を果たしていたかを示す
一例として挙げられるでしょう。
(う〜ん、なんか今日は日本語の使用法がおかしい気がする大塚好古)。
大塚好古
ゴミでした。
takukou
戦自ってのは、「戦国自衛隊」のことでしょうか?
それとも「戦略自衛隊」のことでしょうか?←確信犯(笑)
勝井