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480 イタリアの条約型巡洋艦の(当時としては)尋常でない対空火力って,
地中海という行動海域の特殊性のみで全てを説明してしまってよいのでしょうか?
何か運用面での構想といったものはなかったでしょうか?
重巡の高角砲連装8基16門なんて,
下手な戦艦以上の重火力ですよね.
勝井

  1. 全く資料が無いんで憶測、、、
    それが8インチ砲とのトレードオフでそうなったのなら、そうかも
    知れないですね。ホントは8インチ10門積みたかったとか・・

    なんというか、積めたから積んだ、が正解臭いが?如何に?
    takukou

  2.  対魚雷艇用も兼ねていたっていう線はどうでしょうか。
    tomo

  3. ↑ それも考えたんですが、確か、後の級では減らしてますよね。
    takukou

  4. でも、トレントって1920年代半ばか。
    いくらなんでも、航空機相手じゃないよな、、、
    takukou

  5.  その一方で軽巡洋艦は同時期の列強の巡洋艦と大差ない高角砲の搭載数ですよね。やはり火力増強の
    ため副砲代わりに増戴した、と考えるべきなのでしょうか?さあ、憶測を書いたから鉄砲五百本だ!
    大塚好古

  6. これは水上用の副砲としてのウェイトが高かったのだと思います

    もっとも、初期の重巡は、まだ用法も思想も確定していない状態ですから
    取りあえず「載せられたから載せた」ってところも有るんでしょうね

    軽巡の場合、4インチよりも6インチ増やした方が有利だったのでしょう
    つまり、対水上では無く、対空だけを考えれば
    有力だけど、常識はずれではない

    SUDO

  7. 「空軍万能論」の国であったのと、
    お隣フランスで続々建造されていく超駆逐艦対策、
    の両面から、という考えはいかがでしょ。
    勝井

  8. 超駆逐艦対策は、その後に建造される軽巡群だったのでは?
    ジュッサーノやカピタニロマーニがそれだったのではないかと思います

    イタリアの重巡は、かの国にとっては、初めての近代巡洋艦だったのです
    運用・設計、全て、まだ固まっていなかったと見てよいのではないでしょうか

    20年代末から30年代初めにかけて、各国が重巡の大建造を行いますが
     その後、条約型軽巡の建造を含めると、大戦開始ぐらいまで続く
    何処も初期と後期ではかなりの差異がありますね
    どれも、この規模の艦艇に何を要求するべきなのか
    それがはっきりと定まっていなかった時代の模索であり
    試行錯誤の産物だったのでしょう

    何しろ、戦艦が大幅削減されてしまい
    英国以外では(ドイツは無くなったので)
    近代的軽巡洋艦すら持っていなかったって事を考えてみてください

    下手すると、二等戦艦級から大型駆逐艦の間が全部空っぽだったんです
    この巨大な隙間に、どんな巡洋艦をどんな感じで入れるべきなのか
    その答えが見つかっていなかったのが、あの時期だったのです

    SUDO

  9. >8
    確かに、イタリアの重巡って一貫性が無いなぁ。良く言えば柔軟なんだけど。
    揃って運用するとか考えてないのか?
    takukou

  10. 第1陣が速度重視、第2陣は防御力重視。
    そして第3陣でまた速度重視に回帰ですね。
    しかしフランスも重巡にほぼ同様の経緯を辿らせているのが興味深い。
    勝井

  11. 防御力軽視ったって、砲塔は我が重巡よりも厚いぞ(^^;;

    まぁ、SUDOさんの書かれた様に、運用思想がはっきりして
    なかったんでしょうね。
    takukou

  12. 第三陣って言っても

    建造計画で言うと
    1923/24:トレント級2隻
    1928/29:ザラ級2隻
    1929/30:ザラ級1隻、ボルツァーノ級1隻
    1930/31:ザラ級1隻

    実質的には、高速型と重装型の二本立てですな

    イタリアの巡洋艦戦力の整備は
    日英米が第一次大戦末期から行っていた「軽巡洋艦」の配備と
    それから発展した重巡整備の両方を一気に行ったような物です

    当初に軽巡戦力の充当を行わなかった
    伊仏両国の初期重巡が軽装甲なのは
    それが実質的には軽巡洋艦だった事が原因だともいえませんか?

    結果的に、彼らは、重巡を軽巡として建造することで
    帯に短し襷に長しにしてしまい
    より彼らの環境に適した
    バランスの良い新世代軽巡洋艦の建造に進むことになったとも思えます

    SUDO

  13. 確かフランスはさらに重巡の建造予定してましたよね?
    イタリアについては世艦あたりじゃみかけませんが、
    建造計画あったんでしょうか?
    勝井

  14. >13
    当時のイタリアはヴェネト級戦艦とカピタニロマーニ級軽巡の整備中だし
    それ以降では、水上砲戦型巡洋艦への要求は低い物になったでしょう
    よって、重巡なんて作ったとは思えませんな

    一応、軽巡最終型アブルッツィの改良型が建造予定でしたし
    これなら、ラ・ガリソニエール級より強力ですし
    アルジェリー以外の仏重巡にも勝てそうです

    巡洋艦戦力で劣勢だったのは仏の方だったのです

    イタリアの開戦時の巡洋艦兵力は
    重装重巡4隻、高速重巡3隻
    軽巡12隻、平均7,000t

    フランスは
    重装重巡1隻、軽装重巡6隻
    軽巡9隻、平均7,200t
    補助軽巡3隻>4.700t、6,500t、5,900t
    (補助軽巡も含めると、平均7,000t弱の12隻)

    イタリアの弱みは軽巡の半分が5,500t程度で弱防御だって事ですが
    反対の残り半分は仏軽巡と対等以上の戦力を持っています
    総合戦力では重巡軽巡共にイタリアが優位でしょうし
    仏は海外植民地にも展開させる必要が有るので、差はもっと開きます

    そう、も一度書きましょう、フランスは劣勢なのです

    SUDO

  15. 海外植民地に展開させる割にはフランスの巡洋艦って航続距離が
    短い感じがするのだけど・・

    日本や英国のが長いだけ??
    takukou

  16. ↑フランスの場合イギリスと違って植民地警護用に通報艦なる独特の艦種があるのも影響しているのでは
    無いかと愚行致します。
    大塚好古

  17. どんどん、話が脱線してきて嬉しい限りですが(ぉぃ

    航続距離は色々な意味合いが有るのですが
    日本のソレは戦闘行動半径なのだと思います
    植民地派遣艦艇の航続性能は、航空機で言う滞空時間に相当すると見れば
    速度を多少落とせば、充分な哨戒時間を確保出来ると思います

    戦後に完成したド・グラースは18ノット6,000と大幅に改善されていますが
    これは大戦中に主として船団護衛に従事した事で
    航続性能の引き上げ要求が大きかったのだろうと思います

    英国の巡洋艦の航続性能は
    第一次大戦型と、それ以降でかなり異なります>後者が長い
    勿論、技術の進歩もあるのですが
    それによって生まれた余力を航続能力拡大に使っているのです
    海外派遣巡洋艦なんて、19世紀に既に存在してますから
    この航続力延伸は、主として、船団護衛や、作戦領域の拡大等が原因だったのでしょう

    SUDO


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