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某NIFTY(匿名になってない(^^;)で見かけたのですが、大和の甲板が黒く塗られて いるという話の説明で、夜戦や飛行機の為という話が出ていたのですが、飛行機 からは船が航行してたら白いウェイキー(?:航跡)で目立つので意味ないでしょう し、夜戦たって見えるのは艦の側面なんで甲板塗ってもしょうがないやんとか思 ったのですが(NIFTYで突っ込む勇気なかった(^^;)、夜戦って、甲板黒く塗って いい事あるんでしょうか? bluefish |
推測で発言して申し訳ないのですが、黒塗装については、不燃化対策であったとする説もありますが、個人的には迷彩効果をとりたく思います。というのも、甲板黒塗装は、まず大和などより先に潜水艦で実施されており、これは潜航時の迷彩効果を狙ったものと言われていますし、他の艦で実施された甲板の迷彩についても停泊時の迷彩効果を狙ったと考えるべき物が多くあると思われるからです。
他の方の見解は如何でしょう。
BUN
沖縄戦時の米軍が撮影した写真だと、海面よりはかなり明るい色だと
思うのですが・・いかんせんモノクロなんでなんとも言えませんが。
takukou
それより私は甲板の端に並ぶ数字か目盛りの様なマーキングの詳細が気になっています。また映画「戦艦大和の最期」(吉田満の著書の映画化)では、機銃、高角砲等の砲座基部にも数字が書き込まれています。単なる演出なのか、それとも当時の何かしらの考証の結果なのか是非知りたいところです。
BUN
被弾した時はササクレ立って表面塗っててもしょうがない)、迷彩説も沖縄に突入
する段階で停泊する時の事まで考えますかね?決死の覚悟なら逆に防火の為に甲
板を剥ぐんじゃないでしょうか?
と書いてはたと気付きましたが甲板(の板)剥いだら何色に見えるのでしょうか。
bluefish
損傷位置を把握しやすくするために記されたもので、比島海戦時にも同様なマーキングがされたと
言われております。
大塚好古
黒砥の粉で塗った、と数多くの証言がある」とあるのですが。これと同じ
ものなのでしょうか?
また、甲板端のマーキングに関してはフレームの区切りではないかと推測
してますが。どこまでホントかは判りません。
takukou
BUN
大塚好古
確かなようです(呉空襲の際の大和の写真を見ると黒塗装されていないことが分かります)。
大塚好古