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467 日本の駆逐艦はアメリカの駆逐艦に比べて速度・航続距離が劣ると言う記述をどこかで読んだのですが、アメリカの駆逐艦の事はあまり知らないので平均してどれぐらいの差だったのか教えてください。
K.K

  1. 平均して・・・

    米駆逐艦の計画最大速度は条約時代のが35ノットぐらい
    これは改善工事をした後の特型や白露の実測34ノットより少し速い
    もっとも、この計画速度が充分にクリアできたのかはわかりません

    無条約時代のフレッチャー級は計画37.8ノットと大変高速ですが
    公試では35.1しか出てません、陽炎や夕雲と同レベルですね
    サムナーやギアリングは、当然ですが、もっと遅いです

    つまり、日米の駆逐艦で速度性能は同レベルだと思って良いでしょう

    航続距離はタンク容量にも関ってくるし、基準速度次第でもありますが
    同時代なら多少米艦の方が燃料消費率は良好だと思われます
    これはボイラーのい性能や、巡航に適した機関構造などが効いてます
    ただし、タンクは日本艦の方が一般的に大きく
    同じ速度なら日本艦の方が航続性能は上回る傾向があります
    特に陽炎型とフレッチャー級なら2割ぐらい陽炎が勝ります
    (もっともタンク容積は2割以上陽炎の方が大きい)

    日本駆逐艦は航続距離に苦しみましたが
    これは充分な洋上補給タンカーを手配できない日本軍の問題で
    より小さなタンクしかない米艦は
    タンカーの支援を受けることで問題を解決しています

    大戦型最後のギアリング級は
    サムナー級の船体を延長してタンク容積を増した物ですから
    やはりタンク容量は不足していたのでしょうね
    余談ですが、ギアリング級はこうして大型化した為
    計画速度34.5ノット、実績34に届かずという、かなり悲しい速度になってます
    秋月型と似たような結末ですね(笑)

    SUDO

  2. 日本の駆逐艦の航続力。数値は計画値でございます。

    峯風/神風型:14kts/3600nm
    睦月型:14kts:4000nm
    吹雪型:14kts/4500nm
    暁型:14kts/5000nm
    初春/有明型:14kts/4000nm
    白露型:16kts/4000nm
    朝潮型:18kts/4000nm
    陽炎/夕雲型:18kts/5000nm(実際には6000nm近く)
    島風:18kts/6000nm
    秋月型:18kts/8000nm
    松型:18kts/3500nm

    一方アメリカの駆逐艦。数値は平甲板を除き戦時計測値です。

    平甲板型:20kts/2500nm(計画値)
    ファラガット級:12kts/5980nm、20kts/3710nm(公試時12kts/8968nm)
    ポーター級:12kts/6380nm、15kts/4080nm(公試時15kts/8710nm)
    ソマーズ級:15kts/6030nm、20kts/4250nm(公試時15kts/10540nm)
    マハン級:12kts/6940nm、20kts/4360nm(公試時12kts/7300nm)
    グリッドレイ級:15kts/4910nm、20kts/3660nm(公試時15kts/7735nm)
    バグレイ級:12kts/6940nm、20kts/4360nm
    ベンハム級:15kts/4860nm、20kts/3600nm(公試時15kts/9500nm)
    シムズ級:12kts/5640nm、20kts/3660nm
    ベンソン級:12kts/5580nm、20kts/3880nm
    グリーブス級:12kts/5250nm、20kts/3630nm
    フレッチャー級:15kts/4490nm、20kts/3480nm(公試時15kts/4800nm)
    サムナー級:15kts/4220nm、20kts/3240nm(公試時20kts/4000nm)
    ギアリング級:15kts/5690nm、20kts/4380nm

     …陽炎型以降は日本駆逐艦の方が航続力長そうだね(笑)
    大塚好古

  3. 素早いレスありがとうございます。そうですか・・・速度はほぼ同じで航続距離は日本の方が陽炎級以降は平均してやや勝っているんですね。問題は貧弱な日本海軍の支援体制と言う事ですか(笑)
    K.K

  4. 貧弱という言い方はどうでしょう?
    日本海軍にとって主戦場はあくまで内南洋であり、燃料もそこまでの往復+戦闘行動分を確保すれば十分といえます。
    逆に給油作業なしに、素早く戦場に急行できる能力として、無条約型駆逐艦の燃料搭載量は決定されたのではないでしょうか?
    勝井

  5. 勝井山、その場合、水雷戦隊はこぞってトラック辺りにあらかじめ進出しているのでしょうか?
    BUN

  6. ↑いや、たぶん14ノットとかでゆっくり走るんですよ(ぉぃ

    ま、補給の観点ですと
    バックナンバーになってしまうのですが
    世界の艦船1992年10月号がお勧めです

    レイテ沖海戦で
    栗田艦隊がブルネイに帰還した時、残存駆逐艦は2隻でした
    5隻ほど燃料切れで脱落したんですな>甲・改甲・丙型の皆様
    小沢艦隊は松型駆逐艦まで居たので一層厳しく
    天候の影響で洋上給油の受けられなかった桐が戦闘前に脱落しています
    この時は護衛というか随伴に杉が付いてったので
    2隻の駆逐艦を戦う前に喪失したのに等しいワケです、大変ですね

    余談ですが、小沢艦隊の残存艦は沖縄でタンカーと合流して補給してますが
    5,500t級なぞはもうギリギリだったみたいです

    ちなみに、米の支援がどのぐらい凄いかというと
    比島作戦の艦隊支援艦艇は113隻10以上の任務部隊からなり
    タンカー34隻、護衛空母11隻、給兵艦6隻、貨物船7隻
    駆逐艦19隻、護衛駆逐艦26隻、外洋曳船10隻だったそうな

    小沢艦隊に用意されたって言うか、使えたのは戦標タンカー1隻です

    SUDO

  7. こうしてみると、サマール沖で水雷戦隊の突撃を躊躇したとか、「謎の
    反転」も燃料が危なかったから。というのも信憑性が出てきますね。
    いずれ、我が海軍では給油艦が自由に手配できない関係上、作戦の立
    案自体からかなり苦労してますね。
    takukou

  8. 小沢艦隊の「桐」と「杉」は、空母に着艦しそこなった艦載機の収容中に、
    艦隊においてかれたというような記事を読んだ記憶があるのですが・・・

    むらじ

  9.  小沢艦隊の五十鈴は残燃料12tで沖縄にたどり着きましたが、同艦は残燃料50tで機関への燃料吸い込みが
    出来なくなるため、最後は乗員が代わる代わる燃料タンクに入りタンクの所々に残った燃料を
    手作業で吸い込み口に持っていったとか…(泣)。
    大塚好古

  10. >6 「桐」は22日の洋上補給で30トンしか補給出来なかったので
    むべなるかな。という感を強く受けるのですが、天候というよりは訓練
    不足の影響が強いと思われます。
    最初、大淀から受けるも実施に至らず中止。その後、瑞鳳から補給を受
    けるも曳策を切断し途中で中止、とあります。

    >8 という訳で、多分誤記であると思われます。
    takukou

  11. >4. 戦前の構想では、日本にとっての決戦は「内南洋での1度きり」のはずですから、
    要求される行動力も決戦場への往路+戦闘行動分のみでOKだったのではと想像してレスした次第です。
    帰りはそれこそ内南洋各地にある基地まで戻ればいいわけで。
    勝井

  12. 勝井山、君は「往復」と明記している。質問はともかく回答は雑にやっちゃ駄目だ。
    BUN

  13. ラジャー、親分
    勝井

  14. また、重要なことなんだけれど、内南洋には基地はありません。条約で軍事施設が置けなかったことが、マリアナ等、本来もっと充実した施設がありそうな拠点が最後まであのような状態であった遠因となっています。補給艦船を引き連れて臨時の泊地を設定する以外は道が無かったのです。
    BUN

  15. >10
    ええ、訓練不足ゆえってのが本当のところでしょうね
    何しろ他の艦艇は補給できたんですから
    (荒天下での洋上給油の技量が足りなかったって事ですね)


    戦闘行動でどのぐらい消耗するかですが
    真珠湾攻撃を見ると
    布哇から600浬で随伴タンカーから最後の補給を受けて
    24ノットで接近(26だと駆逐艦の燃料が持たない)
    当日未明から加賀に合わせて28ノットを5時間
    攻撃隊収容後は日没まで26ノット、以降一昼夜20ノット
    離脱していたタンカーに追いつき補給となってます

    これを駆逐艦の時間あたり燃料消耗から計算すると約385t消費となります
    (夕雲型の、下方修正した補給計画用の表をベース)

    更に、荒天下だと駆逐艦は2ノット程度分回転数を上げるそうですから
    燃料消費量は、+2ノットで考えるべきかもしれません
    その場合ですと約520tの消費になり
    第一水雷戦隊の朝潮型駆逐艦は夕雲・陽炎より約13%燃費が悪いので590t消費になります
    朝潮のタンク容量は580tですから、ちょっと足りないです・・・
    勿論、これは最悪ケースの下方修正ベースですけど、ギリギリです

    これで、もし空襲でも有ったら?
    また、第二波を出していたら?
    最悪の場合、駆逐艦は布哇沖に置き去りにするしかなくなるのです(爆)
    タンカーをかき集めてもこんな物

    何をするにしても、タンカーは必須だったんですね(;_;)

    SUDO

  16.  SUDOさんの説の通りだとすると、ハワイ空襲の第二波がされなかった
    強力な理由になりますね。今までの諸説を書き換えるかもしれません。当時
    の機動部隊の関係者の証言にこれを裏付けるものはないんでしょうか。
    tk

  17.  航続力の不足から、2航戦が外されそうになってましたね。結局、ドラム缶を積んで、真水の消費も抑えて(真水を作るには、そのための装置を動かすための燃料が必要。)、必死に付いていったそうです。
    tomo

  18. >BUNさん、僕の質問そんなに雑でしたか?(^^;)
    K.K

  19. うん、実力の割に、手間を惜しんでいると思います。やれば、必ず、もっとみんなの役に立ちます。
    BUN

  20. ん、ん、KKさんて勝井山じゃなかったの?だったら誤爆。私は個人的に勝井山に厳しいんです。質問に文句などあろうはずもありません。
    BUN

  21. 師匠、鉄砲と四股ですな
    いや、勝井山と一緒に晴嵐搭乗です(爆)

    SUDO

  22. 「誰かの笑顔のため」なら、私は乗ります。
    BUN

  23. >「誰かの笑顔のため」なら、私は乗ります。
    SUDOさんなら笑顔で送り出すに決まってます。
    FIX

  24. うーん、やっぱ随伴タンカーって大切なんですねえ・・・
    やっぱその辺りがもうちょい充実していればガタルカナルで
    燃料不足で何度も直前になって引き返すはめにならずに
    (まあ陸軍が悪いんだけど)陸軍にもう少し協力できたんでしょうねえ・・・
    それともあの時は、あんな制空権もない所では随伴タンカーを
    持って来ることができなかっただけなんですか?
    P-kun

  25.  ↑ガダルカナルの場合制空権が確定していないところにタンカーを持っていく危険性もさることながら、
    海軍全体としての備蓄燃料が払底しつつあったため積極的行動に出れなかったのもあるとおもいます。
    (昭和17年末頃で65万トン程度の備蓄しかなかったとかいう記載を呼んだ記憶が…)。
    大塚好古

  26. えとね、ラバウルとガダルカナルの距離が約600浬あるんですよ
    実際にはショートランドで集結補給して突っ込んだようですが
    往復で約800浬ですね
    これは、陽炎型なら30ノットで1200浬級の航続力が有るので
    1/3の余裕がある計算になり
    現地で戦闘に巻き込まれても30ノットで帰れますが
    朝潮以前の駆逐艦は>こっちのほうが多数派です
    時間あたりの消費量で10-20%悪く、特型や初春型はタンク容量も20%小さい
    つまり、30ノットで1,000浬行けるかどうか・・・
    ガダルカナルへの高速往復は限界行動だったのです
    またショートランドはガダルカナルまで約400浬、大変危険な位置です
    ここまで前進させたことすら、私としては非常な努力だと思う

    ちなみに30ノット往復なんてしなければってのは誰しも考えますが
    米軍機の一般的攻撃圏を150浬とすると、そこは夜間に突っ切るしかなく
    現地での作業等を考えると、往復300浬で30ノット10時間は必須条件です

    問題1、夜明けまでにどれだけ離れることができるか
        遠距離攻撃仕様の航空機が出てくるまでに少しでも離れる
        つまり朝方から昼過ぎまでも全速で逃げる必要があり
        そこまで走るとショートランドについちゃうのです(爆)

    問題2、行きはどうなんだろう?
        150浬圏突入を日没として、そこまでの250浬をノホホンと進んでると
        やっぱし索敵機は来るわ、攻撃機も来るかも知れない
        いや、発見されていたら
        鉄底海峡で歓迎委員会が待ってるかもしれない
        やっぱし可能な限り全速で突っ切るしかないんです

    これらを見ると、日本駆逐艦の航続力は貧弱なように思われるでしょうが
    こうなったのは航空機が登場して、攻撃圏が拡大したこともあるのです
    100浬か200浬離れれば、安全だった水上戦闘の時代の常識は
    通用しなくなったのです
    誰が往復800浬を全速で走るなんて想像したでしょう
    航空攻撃は戦闘だけでなく
    こうした艦隊運用にも多大な影響を与えていたのですね

    SUDO


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