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453 旧海軍の駆逐艦は3隻ないし4隻で1駆逐隊を編成し、その長である駆逐隊司令が軍艦の艦長にあたるということを聞きました。
この駆逐隊司令は駆逐艦長とは別に乗り組んでいたのでしょうか? それとも駆逐艦長の中で最先任にあたる方が兼務していたのでしょうか?
もし別々だとしたら、何かの拍子に水雷戦隊の司令官が同乗する様なことになったら、小さな駆逐艦の中に司令官と司令と駆逐艦長が同乗することになって大変だと思うんですが?
imokenpi

  1. 例えば
    http://member.nifty.ne.jp/KIDOUBUTAI/kidobutai/nippon/midway.htm
    に、ミッドウェイ海戦時の編成が出ていますが、これを見る限りでは駆逐艦長と駆逐隊司令は別人物のようです。

    HD

  2. 御心配もっともですが、しかし、そんなことで帝国海軍は弱音は吐かないものです。
    駆逐艦どころではなく、旗艦任務を担う甲型伊号潜水艦の狭くて臭い艦内にも将官が座乗しているのです。
    BUN

  3. 海軍の辞令広報をつぶさに調べたわけではないですが、駆逐隊司令と
    駆逐艦長の兼務者というのは、私の知る限りではいなかったように思
    います。

    ちなみに「その長である駆逐隊司令が軍艦の艦長にあたる」というの
    は、「軍艦ならその長たる艦長が所轄長になるが、駆逐艦の場合、駆
    逐艦長は所轄長ではなく、駆逐隊司令が所轄長である」ということな
    んだと思いますが、駆逐艦でも単艦の場合は駆逐艦長が所轄長となり
    ます。

    なお、水雷戦隊司令部が駆逐艦に乗った例はいくつかありますが、司
    令駆逐艦に乗った例があるかどうかは知りません。
    今泉 淳

  4. ↑了解しました。戦術単位としての長が軍艦では艦長であり、駆逐隊の場合は司令になり、駆逐艦単艦の場合は駆逐艦長になるということですね。御教授感謝です。
    imokenpi

  5. 「戦術単位」というよりも、会計上の単位とか訓練上の単位という
    位置付けで、「所轄長」「基本長」と呼ばれると、私は認識してい
    ます。
    今泉 淳

  6. ↑なるほど、軍政上の管理区分というか、会計単位の問題なのですね。で、実際に運用される時の指揮系統はまた別、と。
    ということは、駆逐隊が作戦の都合上分散使用されたりすると、駆逐隊司令は(軍政上の管理機能は別にして)やることがなくなっちゃうような気もしますね。
    まぁ、いくら駆逐艦だからと言って年がら年中戦闘してるわけではないでしょうから、それでもいいのかな。
    imokenpi

  7. まあ,そうは言っても,駆逐隊ってのは水雷戦隊司令部から見れば子隊という
    一つの指揮する観点からは「単位」をなしていることも事実です。

    「単艦」ってのは,単純に単艦で行動していることではなくて,指揮系統上駆
    逐隊に属さないような場合を意味しています。そういう駆逐艦は,駆逐隊に元
    々属さず,よって駆逐艦長の直属上は駆逐隊司令ではない,そんなことになり
    ます。

    今泉 淳

  8. 「司令官と司令」ではなくて,「司令長官と司令官」という例なら,少なくとも
    私の知る範囲では二つ例があって(以前もどこかで書いたかもしれませんが),ミ
    ッドウェー作戦のときの第一航空艦隊司令部と第十戦隊司令部,捷号作戦の際の
    第二艦隊司令部と第一戦隊司令が,同じ艦に「同乗」ってことになります。

    まあ,狭い駆逐艦に比べて,長良や大和は広いので,問題はまだまだ軽減されま
    すが,これも「何かの拍子」が理由ですね。元々編制上同一の艦に司令部を置く
    ことが前提になっていたわけではなく,当時の慣例も司令部は別の艦に置くのを
    常としておりましたので。

    もっとも,ホントなにかの拍子に司令駆逐艦に水雷戦隊司令部が乗るような事態
    は否定できませんので,「狭い駆逐艦」という意味では大変だったと想います。



    今泉 淳

  9. 司令官と駆逐隊司令とが同一の駆逐艦に乗り合わせている例としては、
    たしか第31戦隊の旗艦となった「霜月」がそうだったとおもいます。
    レイテ沖海戦の翌月、第31戦隊の旗艦「五十鈴」がコレヒドール島附近にて被雷し、
    第31戦隊はたまたまいあわせた「霜月」に旗艦を変更しました。
    「霜月」は従来、第41駆逐隊の司令駆逐艦だったのですが、
    この時期はおなじ駆逐隊に所属する僚艦なしで行動していたようです。
    ところがその直後の11月25日、「霜月」は米潜水艦の魚雷を受けて轟沈、
    わずかな生存者の中に第31戦隊司令官江戸兵太郎少将、
    第41駆逐隊司令脇田喜一郎大佐の姿はなかったということです。
    ちなみに「霜月」駆逐艦長は畑野健一という人物だったようです。
    このへんの話はたしか、木俣滋郎の「日本水雷戦史」に出ていたと記憶しております。
    ほかにはこれといって思い浮かぶものがありません。
    水雷戦隊の旗艦が駆逐艦となる機会が、
    戦時のイレギュラーなケースを除いては
    なかなかなかったからかもしれません。

    むらじ

  10. ルンガ沖夜戦の直後、外南洋部隊増援部隊に区分されていた第二水雷
    戦隊(司令官田中頼三少将)において、旗艦が「長波」から「照月」に
    変更されたケースが、「照月」が第六十一駆逐隊(司令則満宰次大佐)
    の司令駆逐艦であることから、「司令官と司令が同乗」に該当します
    ね。

    こちらも、将旗を移したらすぐ「照月」が沈んでしまっているので、
    第三十一戦隊のケースと似たようなものですね。

    今泉 淳


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