451 |
日露戦争当時の装甲巡洋艦の内の何隻かは練習艦などになって太平洋戦争を生き延びていますが、これらの艦が実戦に参加したことはあるのでしょうか? あ、もちろん末期の本土空襲の際の対空戦闘は別にしてです。 たしか出雲(だったかな?)が開戦のころに支那派遣艦隊の旗艦だったというような記述を読んだ覚えがあるんですが。 imokenpi |
上海に停泊したままの「作戦全般支援」に近かったと思います
なお、搭載機は他艦のと一緒に地上戦闘支援等に参加していたと思います
でもって、忘れてはならないのは常盤です
大正11年に敷設艦に改装され、戦争中は南洋にて機雷敷設作業に従事しました
他の装甲巡洋艦は練習艦っていうか、教材として繋留状態だったみたいです
SUDO
しかし、搭載機があったとは…やっぱりクレーンで海面に下ろして使ってたんでしょうかね。わざわざカタパルトを装備したとは思えないですし…。
この辺の裏方艦の資料ってのはどういうところで探せばいいものなのでしょう? 大和あたりよりよっぽど働いてると思うんだけどなぁ。
imokenpi
世界の艦船増刊「日本巡洋艦史」「日本特務艦艇史」
および、モデルアート別冊「日本海軍艦艇図面集2」
世界の傑作機「日本海軍水上偵察機」
を拾っただけです
どれも、安価で入手容易ですが、結構色々出てるモノです
SUDO
今泉 淳
SUDO
日露戦争時の装甲巡洋艦8隻ですが
全艦、大正10年に海防艦籍に移り
大正11年、常盤が敷設艦籍に移り
昭和10年、日進が除籍され
昭和17年、残存6隻は、一等巡洋艦と練習特務艦に再分類されます
巡洋艦籍に戻ったのは、出雲、八雲、磐手の3隻
浅間は昭和10年の座礁事故で行動能力を実質的に喪失
吾妻は昭和19年に除籍され解体されましたから、たぶん行動能力は無い
春日は横須賀で繋留状態、姉妹の日進の状態からも行動能力は無いでしょう
ってなワケで、行動不能の3隻は練習特務艦に分類されました
各艦の最期ですが
八雲:終戦時残存、復員輸送に従事した後、解体
吾妻:昭和19年除籍、19年末〜20年、西舞鶴で解体
浅間:終戦時残存、昭和22年解体
常盤:昭和20年8月9日、大湊で被爆大破着底、戦後解体
出雲:昭和20年7月24日、呉で被爆大破着底、戦後解体
磐手:昭和20年7月24日、呉で被爆浸水、7月26日着底、戦後解体
春日:昭和20年7月18日、横須賀で被爆大破着底、戦後解体
日進:昭和10年除籍、砲爆撃実験中に浸水転覆沈没、12年浮揚解体
SUDO
…しかし、こうして見ると軍艦というのは長持ちするものなんですね。常盤なんか最後まで現役だったみたいだし。
練習艦として使うしかなかったのはわかるんですが、なんかもったいないなぁ。もう少し戦局に直接寄与するような使い方ができなかったのだろうか? という疑問がぬぐえません。
imokenpi
ただ、あの戦争を考えると、あらゆるレベルで人手が足りなかったのですから
彼女達を無理に現役艦艇として使うよりも
練習艦にした方が効果は大きかったのでは無いでしょうか
無条約時代にならなかったら常盤は除籍されていた筈で
他国の同時代の艦艇も
条約制限にかからなくても除籍されているのが大半で
やはり、旧式艦の維持には色々と困難は有ったのでしょうね
でも、そいや富士も生き延びてたような・・・
結構、物持ち良いねぇ>日本海軍
SUDO
工作艦に改装されて立派にお国のために大戦を戦い抜いてるじゃないですか。
勝井
SUDO
そのくらい分かってますよ,ボクだって…(スネた口調で)
勝井
彼女達からみたらずっと若かったのに。嗚呼・・・
むらじ