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440  私は欧州戦線の事を全然知らないのですが…
 「グラーフ・ツェッペリン」って、一体何なんでしょう?
もし完成したとしても、人材(空軍から100人引き抜く?)・搭載機(フック付のMe109があったようですが)
運用(とにかく経験が無い)などの問題を考えると、いかにツェッペリンが大型・高性能であっても、
とりあえずのところは実験艦となってしまうのは明らかです。 
実戦投入するまで、完成から3年はかかりそうな気がします。

 もちろん、この問題を先送りにして、対ソ・対英戦に勝利してから…と言っていたら
ますます遅れをとってしまう、という事にはなりますから、
即戦力にならない空母を、戦争をしながらでも育てていく必要があったとも思えます。

 以上全て私の想像です。
現実には、ドイツはツェッペリンを何時頃、どのように使うつもりだったのでしょうか?
どんべ

  1. といいますか、「ツェッペリン」の用法なのですが巷間伝えられる
    「通商破壊用空母」というのはどうしても納得出来かねるのです。
    結果的にそうなっちゃた可能性はありますが。

    記憶では(こう書くと、稽古不足が露呈しますが)、ツェッペリン
    の起工が1936年。で1940年にかなり工事が進展している状態で一時
    中止、の筈ですが。とすれば、計画段階では海戦に於ける航空機の
    果たす役割もどの程度かは、未だ海の物とも山の物とも判らない時
    代ですよね。従って、「何時頃、どの様に」というのは同時期の他
    国の空母と大して変わらないのでは無いかと思うのです。
    少なくとも「通商破壊」目的では無いと思います(そういっちゃえ
    ばビスマルクなんかも通商破壊目的の戦艦になってしまう)。結局
    、独も建艦計画の中途であったのですから。

    空母にしては重装甲であるとか、15p砲を16門積んでるとかの
    理由は、当時の独航空機の航続距離の短さ故、とも考えるのですが?

    以上、殆ど根拠はありませんが。以前から思っていた事でした。

    余談ですが、搭載予定のスツーカはポーランドやノルウェイで働き
    ましたよね?
    takukou

  2. ツェッペリンの解釈は色々とあるとは思いますが、いくら何でも1940年代に活躍を予定していた空母が大西洋上を通商破壊の航海に出る、というのは非現実的ですので、俗に言われる通商破壊艦というのは間違いなのでしょう。そうするとあの武装は何なのかという問題が出てきますが、別の問題で戦艦関連の資料に当たった際、印象深かったのが両軍とも、北海での戦闘は気象上の問題もあり、不意の接近戦の可能性を考慮していた点でした。私はその角度からツェッペリンの武装を考えるべきではないかと思います。
    もともと外洋に根拠地を持たない独海軍は大型艦の大西洋への出撃はあまり考えていなかったと見て良く、北海、バレンツ海での使用であれば、艦上機の搭乗員は空軍所属の訓練済みの搭乗員となる予定のはずですし、艦隊の支援、上陸援護などの運用は比較的容易に行えたのではないでしょうか。このような空母クラスの大型艦は何の背景も無く特異な形態を持つことは有り得ませんので、今のところ、そう推察しています。
    BUN

  3. やっぱり上陸作戦とか、そこまで行かなくても
    海岸近くでの陸上戦闘への支援が主体だったのでは無いでしょうか

    武装で言うなら、BUN師匠の言うとおり
    北海の気象条件が不意の水上戦に対する備えだったのだろうし
    初期空母は有力な水上武装をするのが常識でしたしね

    SUDO

  4. しかし、「通商破壊用」というのは誰が流布したんだろうなぁ?
    一時、完全に引っ掛かっていたが(^^;;
    takukou

  5. すみません。
    太平洋戦争の感覚で「ツェッペリン」を理解しようとしている自分に無理がありました。
    顔を洗って出なおしてきます。
    どんべ

  6. そいや,ツェッペリン級の2番艦って,なんて名前でしたっけ?

    あと,こちらは便乗質問ですが,ドイツの空母建造に対する基本スタンスはどういったものでしょう?
    Conwey なんかみてると,大戦中,複数の改造空母を計画してたようですが。
    実は大戦が長引いていたら,ドイツにも珊瑚海クラス位の機動部隊が編成される日がきてたりして。
    勝井

  7. >ツェッペリン級の2番艦って,なんて名前でしたっけ?

    「ドクトル・エッケナー」(ツエッペリン伯爵の飛行船事業の後継者だった方です)
    だったと思います。


  8. ↑あれ、「ペーター・シュトラッサー」っての、なかったでしたっけ?
    WWIの海軍飛行船隊の指揮官で、ロンドン空襲には常に陣頭指揮を執り、任務中に戦死・・・な人。
    まなかじ

  9.  Z計画ではツェッペリン級2隻に軽空母2隻が計画されていますが、どうひいき目にみても、搭載機数は150機にも届きません。搭載機の内訳を後の改装空母計画などから推察すると、戦闘機は3分の1ほど。アークロイヤル竣工以前の英空母が束になっても、何とか対抗できるくらいでしょうか。ただ、英艦隊が分散せざるを得ない状況を、装甲艦による通商破壊などで作ってしまうと、イラストリアス級が竣工しても持ちこたえられるかな?
     というわけで、Z計画時はあくまで英艦隊との対抗上、建造をした、と言うところでしょうか。したがって、Z計画が中止になれば、必要も無くなるわけです。
     続いて、建造再開時ですが、建造再開が、PQ12船団攻撃時の戦訓により空母のエアカバーと遠距離攻撃能力が見直されたことによる、ということを考えると、船団攻撃のためとはいえ、結構切実に必要とされたのではないでしょうか。改装空母も日本の伊吹クラスのもの、神鷹クラス(元々が同型船だったりする。)のもの各2隻、5万トン(!)クラスが1隻と、この頃から、ほぼ同時に、大量に計画されていますから。戦況がこれ(当時)以上差し迫らず、総統の気まぐれが起こらなければ全部完成していたかも。ちなみに、5隻の合計搭載機数はMe109G(Tじゃないんだな〜、これが。) 69機、Ju87D (C-0のことでしょうね。たぶん。)64機。Z計画時に較べ、戦闘機の比率が大幅に増していますが、これは搭載機種が3種から2種に減ったためでしょう。
     ところで、ツェッペリンの飛行甲板の装甲(?)ってたかだか20ミリ、エレベーターの周りだけ45ミリと存外薄っぺらかったのですね。これでは飛行機の重量を支えるだけで精一杯だったのでは?
    tomo

  10.  しっかし、ツェッペリンを含めて6隻も集めてようやく5航戦並の独海軍って……。
    tomo

  11. ↑9 訂正。Me109Gは多分Me109T-3とかいう名で改修されたのでしょうね。
    tomo

  12. ↑8
    「シュトラッサー」も出ていました。
    ただ、Z計画の開始時には、2番艦の名前は正式に決定されていなかった
    ような気がします。(仮称何々ですね)
    この二つが付けられる可能性のもっとも高かった名前だったのではないしょうか?


  13.  ドイツ機の研究上、グラフツエペリンについても研究していますが、日本では多
    くの場合相当古い資料しか発表されておらず、誤解が多いようです。ドイツでは図
    面の一部(まだ百数十枚ですが)も公表されており、近年研究も少し進みました。
    ここではとても書き切れるものではありませんので、回答のなかで一部気がつい
    た点についてのみ触れます。
     まず、ドイツ海軍にとって本格的な空母は初めてで、当時世界と同様に海戦にお
    ける航空機の重要性や空母の本質を理解していなかった点です。そのため、後の空
    母では搭載しないような砲を舷側に搭載し、砲戦も当初から考慮されており、もう
    少し口径の大きな砲も予定されていました。そのためもあってかドイツ伝統の防御
    を重視し、結果として航空機搭載数が約60機から約40機に減ってしまいました。
     また、二番艦は俗にはペーターシュトラッサーともいわれていますが、艦名は決
    定していなかったとされています。
     搭載機ではBf109T−3は現在まで資料では確認されておらず、艦載型のT-1、陸
    上型のT-2が確認されており、Ju87はJu87C型同様に主翼の折りたためるE型が計画
    され、またその原形機が存在したことが近年のドイツにおける研究でわかっています。
     最初に通商破壊用といったのは誰なのかわかりませんが、少ない搭載機数、多数の
    15cm搭載砲などから連想したものでしょう。
     ドイツにおける研究とアメリカにおける研究では今まで知られていなかった新機軸
    がいくつか採用されていたこともわかっています。関連は航空機のところでも触れて
    おきました。
     
    国江

  14.  訂正、関連はこの艦船関係の質問448の回答5です。
    国江


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