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436 連続の質問で、すいません。三式弾や九一式徹甲弾は地上砲撃には向いておらず、したがって、ガ島砲撃は撃ち込んだ砲弾の割には効果が少なかったとの話を聞いたことがありますが、実際のところはどうなんでしょうか。
tomo

  1. なんでも、第十七軍参謀(だれだっけ?)は金剛・榛名の砲撃を評して野砲1000門に相当するとか、3個師団分の戦力になるとか、激賞していたはずですが…。

    ヘンダーソン飛行場そのものの被害は、かのシービーズの活躍によって早期に回復し、飛行機もすぐに飛んではいますが、機材や航空燃料に与えた被害は相当なものだったはずです。
    これに皮接して輸送船団を送り込む処置をしていなかったのはイタイですが、日本側としてもこんなに効くとは思ってなかったようです。
    次に重巡を出して効果が薄いとなって、二匹目のドジョウを三度目の正直で採りに行ったのが第三次ソロモン海戦の発端ですね。
    非常に効果的だとわかっていたから霧島と比叡を出したのであり、米軍ももう一度戦艦に入りこまれてやられたらかなわんということで、日本戦艦をなにがなんでも阻止すべく、それまで鉄底海峡に出したがらなかった戦艦(サウスダコタとワシントン)を繰り出してきたということかと思います。

    あと、ガダルカナル島砲撃には九一式は使ってないと思います。

    まなかじ

  2. 米軍も陸上砲撃の弾種選択には試行錯誤があった様ですが、このガ島砲撃は、戦艦主砲分では、一式徹甲弾、625発、零式通常弾189発(榛名のみ搭載)、三式弾104発(金剛のみ搭載)が発射されたと言われています。使用砲弾の殆どは徹甲弾で、広く伝わる三式弾による砲撃、とはかなり実態が異なります。
    しかし、更に問題なのは、観測将校が一式40%、零式60%、三式100%の弾着を観測している点と、時計信管により空中爆発を期待した三式弾の炸裂高度が高すぎると報告している点です。一番数を撃ち込んだ一式弾が最悪(あくまで最悪、徹甲弾の着弾は見えない、との奇説もありますが・・・)6割の不発の可能性があり、「新兵器」三式弾が炸裂高度が高すぎては、効果に疑問が出てきます。
    この件は、弾種の適不適の問題よりも、性格の正反対な複数の弾種をあまり計画性もなく撃ち込んでいる点等、砲撃自体に問題があったと見るべきではないでしょうか。
    BUN

  3. 霧島が零式弾をたっぷり持ち込んだのは、その教訓を生かしてのことだったのでしょうか?
    まなかじ

  4. 推測になりますが、零式通常弾が安価な為ではないでしょうか。一式徹甲弾600発というのは恐らく当時の日本の徹甲弾製造能力の数ヶ月ぶんなのではないかと思います。特殊鋼を使用し熱処理を複雑に施した徹甲弾にに対して、弾体が安価な材料と比較的単純な加工で製造出来たと思われる零式弾は新型の三式弾に比べても補充が容易だったのではないでしょうか。というか、零式弾は第三戦隊の本来の任務にも深く関わっているのではと考えています。
    それと艦側の観測には上記の如くネガティブな要素が報告されていますが、ガ島側からの報告では良く言われるように「火の海」だったとありますから、総合的には成功と評価されているはずです。
    BUN

  5. いや全く無思慮に各種弾種を打ち込んだ訳ではないのです。
    1式徹甲弾は零式通常弾や3式通常弾が充分に集まらなかった為の数合わせではありますが、焼夷弾では破壊できない滑走路や堅固な構造物破壊という目的も持たされていました。
    また徹甲弾は落角が大きくないと不発になりやすく3式弾は距離が近いと精度不良になるので、ある程度以上の距離をとる必要があるとされて、約20000mという射距離が設定されました。具体的に言うと3式弾は20000mで落角30度、1式弾は24000mで25度となっています。これに基づいてトラックの珊瑚礁や椰子林への射撃実験が行われて、「1式弾は上記の条件下で「概ね」確実に完全炸裂する。椰子林に対する破片効果は小さい。吹き上げ効果は相当大きい。リーフに弾着すると炸裂力は極めて大きい」という結果が報告されています。
    実際の砲撃はまず西から東へ航行しながら20500mで射撃開始(金剛は3式弾、榛名は零式弾)、それから目標とは離れる方向で反転して東から西への航行をしながら21300mで射撃再開(両艦とも1式弾)しています。ただ問題なのは、この20500とか21300という距離は射撃開始の時点の距離であって常にこの距離を保っている訳ではないという事です。艦隊の航行は直線運動なので西から東(あるいはその逆)に向かう中間点付近ではかなり距離がつまっています。また1式弾の設定射距離とは特に差が生じます。もし砲弾が予定したほどの効果をあげなかったのだとすれば、この辺の認識が楽観的すぎたのではないかという可能性もあります。
    全く考えてないわけではなかったけれど、ツメが甘かったというところかもしれませんね。
    舞弥

  6. あ、書いてるうちにBUNさんの書き込みが先に、、、。上のは2.についてのです。
    零式弾にしても3式弾にしても本来の用途は対空用ですから、この時点ではそれほどの量は用意されていなかったのではないかと思います。ガ島砲撃の準備段階で最初に使用が考えられたのは零式弾ですが、これはトラックで積み込みができるのは200発とされていて、3式弾もトラック在泊艦船や給兵艦の在庫をかき集めてのものですから。だからやはり1式弾が主体になったのは零式や3式の在庫不足が原因でしょう。

    舞弥

  7. 射撃効果の方ですが、「飛行場にあった小型機90機中48機、大型機(B17)8機中3機が破壊された他、航空燃料はほとんど焼失し、飛行には新造の戦闘機用滑走路を使用しなければならず、米軍の被害は甚大であった。ガ島の日本軍地上部隊はこれを見て躍り上がり、陸軍第17軍司令部は「野砲1000門に匹敵す。我ら欣喜雀躍す」と報告してきた。」との記述が「丸 97/12号 巨砲戦史」にあります。元のネタは不明ですが。

    ついでに日本側の射撃効果報告を並べると、

    ガダルカナル島 第1派遣通信基地(14日0100発信)飛行場全面火の海と化し目下尚各所に誘爆を発生しつつある。
    第11航空艦隊派遣参謀(14日0700発信)3Sの砲撃により滑走路と平行に北側幅2000m、長さ3000mに小火炎無数。南側約500m、長さ3000mに大火炎十数個。ルンガ河左岸に数ヶ所大爆発を認め、これら各所とも数分間隔で誘爆を起こし、一面火の海と化した。ルンガ河西方一帯は徹甲弾だったため戦果不明であるが、極めて大なる被害があったものと認める。
    ガダルカナル基地指揮官(14日0720発信)飛行場付近数ヶ所に大火災を発し、西方より見て中央部に爆発、南端付近に燃料の炎上と共に長時間誘爆を認める。火災は1ヶ所0330まで、その他は0230頃まで持続した。効果極めて大であったものと認める。
    艦隊派遣弾着観測将校中馬静男少佐(14日1530発信)BUNさんが2.で書いた通り。


    舞弥

  8. 質問者です。いや、多くの航空機が破壊されたことは知っていたのですが、撃ち込んだ砲弾の割には随分たくさんの航空機が残っているな〜、というのが正直な感想だったものですから、質問で挙げた説を否定できず、皆さんのお力をお借りしようと思ったわけです。
    tomo

  9. 確かに、砲撃そのものは「成功」と判定されていた様なのですが(
    尤も、どの程度の効果を挙げるかは事前には不明な部分が大なので
    すが)。やはり、「性格の正反対な複数の弾種をあまり計画性もなく
    撃ち込んでいる点」も指摘されるとは思います。
    三式弾、零式弾は兎も角として、一式弾は「堅固な施設あるいは滑
    走路を考慮」して撃った訳ですが。その弾着範囲は一辺2500mの正
    方形であり、密度からして一式弾がどの程度の戦果を挙げ得たのか
    は疑問の残る所ではあります(翌日使用できた滑走路は新設の戦闘
    機用滑走路だけだったので、それなりの効果はあったのかも知れま
    せんが、一式弾の効果かどうかは不明)。

    >2
    一式弾の弾着は確認困難、との報告もありますが。これが為に十一
    戦隊は敵艦船の出現が予想されるにも関わらず三式あるいは零式弾
    を装填していたのでは(勿論、敵をナメていたというのもあるでし
    ょうけど)?とも愚考するのですが。
    takukou

  10. 昔、朝日ソノラマのどれかで、米兵が霧島の捕虜になり、
    3次ソロモンにおいて、日本戦艦はちゃんと初弾から徹甲弾だった、と
    証言してる本がありましたが、やっぱフィクションですかねぇ?
    勝井

  11. ↑>やっぱフィクションですかねぇ?
    だと思いますよ。
    12日、14日共に一式弾よりも三式弾、零式弾を主用してますから。
    takukou

  12. しつこいようですが、またまた質問者です。
     例の「火の海」って件ですが、三式弾の焼夷弾子がただ燃えていただけって事ありませんかね〜。施設がそんなに集中していたとは思えませんし、地面に鉄板、コンクリなんかが簡単に燃えるとは思えません。アスファルトを使っていたとも思えませんし。
    tomo

  13. 航空燃料が炎上したのが大きいでしょう。
    この砲撃による航空燃料の焼失はかなりの痛手であったようです。
    takukou

  14. 金剛、榛名の射撃によるヘンダーソン飛行場の損害の数字は、モリソンの戦史に書かれたものがよく引用されているようですが、この数字は実際には昼間の航空攻撃による損害その他も含んだもののようで、燃料の損失の一部は爆撃によるもの、損失した大型機の内の一機(B−17)は滑走中の事故によって失われたもののようです。
    (N)

  15. ↑補足 我が軍が観測した「攻撃前80機あった航空機が翌日には20
    機に減っており、減った分の内30機は前日の攻撃による(かなり略)
    」の前日分が航空攻撃によるものなんでしょうね。
    takukou

  16. ↑10.11
     フィクションでしょうね。主人公(著者ではない)の乗艦していた艦に該当するものはありませんでした。
    tomo


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