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ドレッドノート以来,初期のド級艦のほとんどは主砲塔の背負い式配置を採用せず,採用後もしばらくは首尾線方向への発砲は一基のみと制限されていました。 爆風の問題故,というのは諸文献でわかりますが, @ いつ頃から全砲での斉射が解禁されたのでしょうか? A 爆風対策として,どのような処置がとられたのでしょうか? B 初期,唯一背負い式配置を採用していたアメリカの事情はどのようなものだったのでしょうか? ずいぶんと欲張りな質問になってしまいましたが,よろしくお願いします。 勝井 |
爆風対策・艦載艇などの収容場所にスクリーン(衝立)を立てて衝撃を緩和する、破壊されやすいものを射線に置かない、危ない場所に人員を配置しない、などなど、比較的消極的な対処ですね。なにせ、主目的が「撃つ」ことですから。黒色火薬時代の大口径砲による爆風など、敵弾の命中より被害が大きかったなんてほどで、手を焼いていたようです。
アメリカでは、砲塔観測孔の位置がイギリスと違っていたので、割合影響が小さかったと言われています。定義は難しいのですが、擬似的な背負い式配置は、19世紀末期に、フランス、ドイツなどの戦艦にも見られます。
志郎
この時代の英国戦艦は主砲塔上部に照準だか観測だかの機材が載ってます
A砲塔の機材はB砲塔の砲口近辺になるので、モロに叩かれるんです
だから一斉撃ち方が出来ないのではなくて、前にはA砲塔しか使えないんです
これは、この砲塔上部の機材を移設することで解決します
他国の場合、こういった配置ではなかったので問題は無かったようです
SUDO
その辺いかがお考えですか?BUN師匠?
勝井
BUN
まなかじ
もしかすると、薩摩・安芸の方が火力大きいのでは無いかと
最近では思うようになってます(;_;)
SUDO
あれは、ド級艦の枠をもう一度別の方へ「超えた」船なのじゃ。コオロギよ。わかるか?
BUN
SUDO
あれは、つまり、原則砲塔が主砲で、首尾線砲塔のは超主砲なのですね。
まなかじ
BUN
舞弥