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399 もし日中戦争がないか、早い段階で停戦していたら、
日本海軍の建艦計画はどのように推移していたでしょうか?
勝井

  1. 質問の動機は、C計画ですら支那事変の影響で軽巡の建造を最小限に制限せねばならなかった、などという話を読んだことがあり、ならば事変がなければ(停戦のチャンスは「蒋介石を相手にせず」まではそれこそ無数にありあしたし)どんな艦隊ができあがっていたろうか? と思ったためです。
    勝井

  2. その場合中国に対する英米の支援による対英米との対立がないということですよね。そうなると(不要に英米を刺激しないために)海軍軍縮条約に従い、大和級の建造はなくなる、蒼龍以降の空母もなくなる、長門級の40センチ砲戦艦が廃棄される、陽炎型以降の駆逐艦は出てこない、赤城、加賀は三段空母のまま(でないと排水量オーバー)川の名前のついた重巡は15センチ砲のまま、利根以降もでてこないetc、etc・・・。
    結局、扶桑、山城、伊勢、日向の戦艦4隻と金剛、榛名、霧島の巡洋戦艦3隻が主力で赤城以下正規2隻小型2隻の空母と旧式巡洋艦が脇を固める布陣ですな。
    建艦計画?
    中国で喧嘩してないならアメリカに挑戦する必要はない。となると耐用年数ギリギリまで旧式艦艇を改装しながら使い込み超旧式艦の退役と引き替えに新型艦の建造となり、必然的に建艦枠をギリギリまで使った余裕のない船体、なにより代行艦の建造なので新型艦種はでてこないでしょう。
    下手すると予算の関係で代行艦すら造れず、イタリアのように廃棄するしかない艦が籍だけ残すというていたらくも考えられるなぁ・・・。
    アメリカと喧嘩する気なら史実とほとんど変わらないでしょう。
    kazu

  3. それで予算がどのぐらい浮くかですね
    予算以外にも問題はありそうですし
    それこそ海軍以上に厳しかった陸軍にも回されるでしょう

    よって、あんまし変わらないかせいぜい1割増強程度でしょうね
    ただ、建造が後回しになっていた艦艇は目立たない補助艦艇が多く
    そういった、実際の日本軍が不足に泣いた艦が揃うので
    実戦力の向上は二割ぐらいになるかもしれません

    以上、数字を全然考えないで考察してみました(ぉぃ

    SUDO

  4. 僕自身は、C計画終了時で、B+C+マル急(字がない…)位の量は十分建造できると思いますが。
    ついでに大神の海軍工廠もすでに建設にかかっているかも(完成まではさすがに無理でしょうが)。
    勝井

  5. 事変が勃発しなければ、九七式戦車も零戦もまして機動部隊も存在しないでしょう。平時の予算の枠組みの中でもっとゆっくりとしたペースでの開発となったことは疑えません。
    確かに実際に中国で使った海軍の戦費があれば空母20隻位(飛行機、乗員も入れれば南雲機動部隊を護衛艦付きでもう一つ、かな)造れそうですが、旧軍関係者の多くはもっと冷静で「事変があったからあの予算が付いた」と判断しています。
    BUN

  6. 言ってる意味が伝わりにくい様なので補足します。
    昭和11年度の海軍の兵器艦艇費は345百万円です。昭和12年には761百万円と臨時軍事費362百万円が加わります。この数字は軍品衣糧費は含みませんがこの分野も同様の曲線を描いて上昇し大東亜戦争開戦の昭和16年には海軍の軍事費は十倍、プラス臨時軍事費となり、この予算の中で支那事変を戦い、同時に事変に掛かる莫大な軍事費を気にしつつ対米戦備を行ったのです。(経済安定本部総裁官房企画部調査課「残存国富と間接被害」中の「軍事費中の主用物件費」による)
    しかし、事変が無い、または早期終結した場合、こうした莫大な臨時予算は当然望めません。国際情勢を見込んでも昭和11年規模の予算プラス常識的な増加で、出来る範囲のことをやるしかない状況でしょう。
    以上で「余力があったのだから建造計画は満額で実施できる」との考えは全く間違っていることが判ると思いますが、こうした「余力」は事変の無い、いわゆる平時であれば、しばしば大日本帝国の欠点として指摘される日本の工業水準の底上げや、貧弱な道路網の整備等に投資されていた可能性が強いと考えられます。
    BUN


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