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日清の黄海海戦、日露の日本海海戦と、 黎明期の日本海軍は、どちらかというと大口径砲弾の威力に頼らず、 むしろ弾量で圧倒する戦法を得意としていました。 それが「大物一発主義」に変遷していった裏には、 どのような事情があるとお考えでしょうか? 勝井 |
アメリカを仮想敵にしてしまったが故の宿命なのでしょうか?
勝井
「変遷」は無かったと考えるべきでしょう。
BUN
Schump
日清戦争時の艦艇の武装を見てください
主砲は「非速射砲」それも大口径が多いんです
まさに一発主義ですな
日露戦争でも別に大量投射主義では有りません
単に、装甲を打ち抜くには接近する必要が有ったので
結果的に副砲以下も沢山使う羽目になっただけですし
これは当時としては極普通の運用です
第一次大戦時も扶桑級なんか12門も主砲を載せていますし
可能な限り多数を載せようと努力しているがわかります
副砲級では6インチをやめて140mmに落として数量を増やしましたが
当然のように射撃速度も増加してます
扶桑と伊勢では投射弾数はそうとう違うと思います
その後は軍縮条約の縛りで
各艦艇の砲サイズが制限されたこともあって
大量投入主義がさらに助長されています
重巡の10門搭載は他国よりも大量投入主義ですよね
駆逐艦も6門搭載で、これも他国より多いですし
最上に至っては155mmを15門も搭載しちゃいました
大戦時の米軍が大量投射の効く5インチ両用砲を多用したので
日本軍の投射量が少なめに思われるのかもしれませんが
決してそんな事は無いのです
ちなみに大和や長門のように他国に先駆けて大口径採用をしていることが
大物一発主義に思われるのかもしれませんが
公算射法の導入以降は、基本的に、口径=射程ですから
より早く撃てる=投射量で勝るって事でもあるのです
SUDO
片舷の投射量でその艦の攻撃力を計る考え方は帆船時代のものであって、
装甲艦が出現し、中小口径砲の役割が小さくなった近代には、
敵を撃沈しうる砲としての大口径砲が重視されて行く、というのが
一番大まかな見方なのではないででしょうか。
ドレッドノートの考え方も中小口径砲を廃して有力な大口径砲の火力を重視しているのですから
片舷の投射量そのものでの比較では前ド級艦、半ド級艦に劣る場合もあるでしょう。
末期の巡洋艦等で発射速度の増大が見られるのは戦術思想というより技術的進歩が
一部の技術的先進国の海軍で可能になったのであって、中小口径砲の連打が大口径砲に優る、といった
理論が打ち立てられていた訳ではありません。
結果として中小口径砲に活躍の場があった黄海海戦、
主砲、副砲それぞれの活躍に注目した二つの判断が為された日本海海戦と
個別の例外的事実はあるものの、近代軍艦はやはり単一口径主砲で大口径化の方向にあります。
ですから片舷投射量重視は前近代軍艦、その質を問われるのが近代軍艦、
中小口径砲の連打が有効とする考え方は皆無ではないが例外、と見るのが
大まかに見た場合には正しいのではないでしょうか。
BUN