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戦時賠償艦としてソ連に引き渡された艦艇は、赤軍で使われたのでしょうか。 蛍菜 |
黒海艦隊でのイタリア艦は軽巡(アオスタ)こそ1年あまりで退役してますが、駆逐艦(ソルダティ級2隻)と戦艦(ジュリオ・チェーザレ)(※「チェザーレ」という読みはよくないです)は、艦隊で長く使われました。
ソ連の巡洋艦はイタリア式のつくりだったのに、軽巡を使わなかった点が腑に落ちません。引渡時に状態不良だったのかもしれません。
バルト海艦隊ではドイツ軽巡(ニュールンベルク)を手に入れ、練習艦任務につけて10年以上も使いました。
まなかじ
舞弥
ダオスタは1957年頃まで使われてたと
去年の暮れに出たイタリア巡洋艦史には出ています
引渡しは1949だそうですから、8年使ったんですね
スヴェルドルフ級に置き換わったと見るのが正しいのでは?
SUDO
蛍菜
(同年標的訓練艦(TSL-64)に類別変更。以降の消息不明)。響はヴェルヌィ(後にデカブリスト)と
艦名を変えて同時期まで使用。初桜はヴィラジテルヌィと艦名を変えて艦籍に編入されたものの
予備艦とされ、1959年に非武装の標的艦兼魚雷揚収艦TSL-24として現役に復帰、1966年退役となっております。
大塚好古
40年代に各種試験がなされた後除籍解体、宵月は国民党政府艦隊にありましたが停泊訓練艦として
使用されたのみで稼働艦としては使用されなかったようです。
大塚好古
使用されており、同年に米式の5inMk30単装砲3門に主兵装を変更、レーダー/ソナーなどを米式装備に
変更するなどの改装を受け、以降1970年まで現役艦として稼働していましたが、同年台風により座礁、
復旧不可能と判定されて解体されました。なお、現役時には 大戦中に摩耗した機関のためか最高速度を
27.5ktに制限して使用していたようです。
大塚好古
蛍菜
舞弥